これまで
特に考えたこともなかったのだが、
あるナスを作るようになってから、
伝統という言葉について考えることが多くなった。

そのナスとは、言わずも知れた「吉川ナス」。

美味いから作っていたナスが、
たまたま伝統なすと呼ばれるもので、
そしてたまたま突然作り手が僕以外に居なくなり、
一時的ではあるが、伝統を受け継ぐ者のように
取り上げられたことがあった。
それについては以前書いたエントリーに譲ろう。

ただその後、そのナスが栽培されていた地元で
栽培を復活させようというグループが出来、
今年は、それなりに盛んに作っているようである。
それはそれでとても良いことだと思う。

ただ、「伝統」についての扱われ方にやや疑問を感じることが多い。
そのグループというわけではないのだろう。
それを取材する側の問題なのかもしれないし
その取材された物を読む側の意識的な問題なのかもしれないのだが、
「伝統を守る」という言葉が
頻繁に出てくることに違和感を覚えるのである。

僕のように、その地方でない場所で
吉川なすを栽培している者にとって
伝統というものが付きまとうことはない。
僕は亜流であって、マージナルな位置にいるにすぎない。
それは「伝統を守る」という文脈での話。
その伝統の中では、
正統性と権威が存在している。
それを有さない者は、とうぜんその資格がない。

また同時に、
「伝統」は守られるべきの物なのだろうか、という疑問である。
伝統は、人々との受け継いできた技や価値や精神や
またそれらを有した物質であろう。
だとすれば、それは保護を受ける対象の物なのだろうか。
保護を受ける対象として、その地位を固定化し
貶める必要があるものなのだろうか。
自然保護のように、ある種高慢的で恩着せがましい態度が
見え隠れするのは、僕があまりにも素直じゃないからだろうか。

伝統は、保護されるべきではなく、
それは築くものである。
伝統は、その中身を固定化するべきではなく、
それは新しく積み上げていくべきものである。
伝統は、同質的なまま継続されるべきではなく、
新しく変容を秘めたダイナミックな存在であるべきである。

だから、伝統に「守る」という言葉を使わないでほしい。
僕はそう思っている。
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No title

3年前 加藤さんからの”吉川ナス”を手にして本当に感動しまして
・・・初めて”ナス”に感動しまして・・・

今は田谷さんの”吉川ナス”に、その美しさに うっとり 感動しています

最初は「伝統野菜」の響きに惹かれていたのかもしれませんが

伝統とかなんとか、、、そうじゃなくても
私は今年もあのナスが、あの美味しいナスが食べたかったので

つくっていただいて 今年もありがとうございます。



 きっと、そういうこと。

Re: No title

きりさん

僕のナスを使って頂き有難うございます。
最近は、木も疲れてきており、やや種入りになっているのが心苦しいです。
シーズン通して、一級品を出したいとは思いますが、なかなか難しいですね。僕は僕なりの「伝統」ってやつを1年1年積み上げていこうかと思いますので、これからもお付き合いよろしくお願いします。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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