そんな言葉を得意になって使っていた時期があった。
地元の、同じ集落の人をパートタイムとして雇い入れている僕の農園。
勝手知ったる近所のおばちゃんと
にぎやかに農作業をする。
風土を共にしていて、文化的共有もある。
小さいころからの知り合いだし
ここの農業(農作業)にもある一定の理解がある。
そんな人を雇い入れる素晴らしさ。
その意味を込めて、
コミュニティーベースドパートタイム
なんて、横文字で言っていたことがあった。

確かに、それなりに賑やかに
楽しくやって来たのだが、
最近、少しずつ変わりつつある。
たぶん、変わってしまったのは僕なのだろう。
借金をして、規模を拡大して、
インドネシア研修事業を維持するために
売り上げをのばさないといけない、
そう考え始めたころから、
どうも歯車が狂いだしていたのかもしれない。

少し前の農業経営のセミナーで
同じような規模で1億円以上売り上げのある農家の講演を
聞きに行ったのだが、
その時に、僕の雇用状況・労務状況を相談したことがあった。
その農家曰く
「ありえないでしょう」
とのことだった。
その人も初めは、近所のおばちゃんを多く雇用していたそうだ。
やはり農作業にも慣れていて、
その地域の農業にも精通しているから、というのが理由だった。
それは僕と同じだった。
しかし、やはり企業として売り上げを伸ばしていく過程で
どうしても、言わないといけない事柄も出てくる。
そんな時、近所の人や近い人ばかりだとやりにくい、
とその講師はいっていた。
雇い側と雇われ側、双方に「甘えが出る」のだとか。
たしかに。
僕も事細かに説明しなくても、近所のおばちゃんたちだし解ってくれる
と思っていた節もある。
おばちゃんたちが、農園の仕事が忙しくても
比較的気軽に休むのも、そういうところがあるのかもしれない。
近い存在だからこそ、コミュニケーションがおろそかになる。
だから、誤解が生まれる。
これくらいは解ってくれるだろう、という甘えがあるから
だから、苛立ちも生まれる。

講師の農家は、現在、出来るだけ外の人を
雇い入れるようにしているのだとか。
仕事として割り切って付き合えるように。
たぶんそれは、そうしないと、売り上げを伸ばそうとなった時に
考えの相違で、うまくいかないときが出てくるからだろう。
今の僕の雇用状況を見ればわかる。

5時までが就労時間なのだが、
農作業はその日その日で状況が変わる。
時間通りに終わるなんて不可能だ。
なんせ相手は自然そのものなんだから。
だのに、コミュニティーベースドパートタイムの方々は
残業どころか、4時には家に戻って台所の事をしたい、と言いだしたり、
配偶者控除されないと年金や税金が高くなるから、と
それ以上の時間は働かない、と言いだしたり。
そんな状況下で、売り上げを僕一人が伸ばしたいと思っていても
とても実現できそうもない。

労働とは、その個人を満たすものでなければならない。
と、僕は思っている。
日々の労働を時間によって切り売りする現実の中で
その満足をいかにして得るか、それはそれぞれの価値観にも大きく左右する。
以前、知り合いの学校の先生が1週間ほど僕の農園で
研修したことがあった。
その先生には、近所のおばちゃんと一緒に
ベビーリーフを切ってもらったり、菜っ葉を詰めてもらったりしたのだが
研修が終わってから
「この労働にどういうやりがいがあるのか、私には見えませんでした」
と正直に言ってもらった。
とてもありがたく、そしてとてもショックな言葉だった。
たしかにルーティンな収穫作業に
その楽しみを見出すことは難しい。
僕もかつて、自分で始めたはずのベビーリーフの作業が
まったく面白味のない、工業的な作業に見えていた時期もあった。
では、今はどうか。
売り上げと言う意味でのモティベーションはある。
そして、インドネシア研修生への研修事業や
天敵や有機質資材を使った農業から見えてくる自然に対する眼差し、
農業を支える農村や人のかかわり、などなどが
僕にもようやく見えてくるようになり
それが僕が農の営みで生計を立てるモティベーションとなっている。
そしてその中で行われる労働のすべてが
僕を満たしてくれる。

では、コミュニティーベースドパートタイムの方々はどうだったのだろうか。
もしかしたら、研修に来た教師のように考えていたのだろうか。
ただ、それでもある程度の甘えがきくというので
ここで働いていたというだけだろうか。
同じ視点で、農の営みを感じる必要もない。
多分、おばちゃんたちはそれぞれに菜園を持っているので
その喜びは、それぞれがそれぞれの菜園で感じているのだろう。
だとしたら、僕の農園での労働は、一体なんなんだろうか。

一方に、すべてを見渡せる、ある意味経営者だけが見える地平に
全体的な農の営みにある労働の満足を感じてるが、
その一方には、雇用する側・される側という
労働を時間で切り売りする契約で成り立つ関係がある。
そこでは経営的な数値と雇用人費との関係で
労働時間がお金に換金される。
その関係の中で、全体的な農の営みにある労働の満足はあるのだろうか。
僕には解らない。
だから、講師できた農家は、
仕事として割り切って働きに来てくれる人を選ぶために
外の人に向かって求人をだしているのだろう。
コミュニティーベースドパートタイム。
地域に根差した人を雇用する。
既存の関係と照れくささと甘えとがある限り
それは、一方では素敵な関係にも思えるが
他方では、売り上げを重視する経営体の中では
必ずしも目的をまっとうできない関係に陥ってしまうこともある。

僕はどうすればいいのだろうか。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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