新聞に載った。
それは、こんな記事。
鯖江・「最後」の生産者 亡き加藤さん伝統の味 吉川ナス 受け継ぐ

受け継ごうと思って、受け継いだわけじゃない。
吉川なすを作ってくれ、という業者からの依頼と
妻が美味しいと言って喜んで食べるから、
いつの間にか、僕の生産品目の一つに
吉川なすが組み込まれていた。

加藤さんの存在は以前から知っていた。
周りからは
「習いに行くと良いよ」と言われることもあったが
なぜだか気が進まなかった。
忙しかった、といえば言い分けでしかないが
多分、僕が作っている吉川なすは、吉川で作っているなすではないので
ある意味ニセモノだと、自分でも思っているところがあるのかもしれない。
それは、後ろめたさのようなものか。
負い目を感じる必要性はまったくないのだが、
そういう性格なので、しょうがない。

そうこうしているうちに、加藤さんは亡くなられてしまった。

そして、この記事が載った次の日。
取材してくれた記者さんが、あるものを持ってきてくれた。
それは吉川なすの種なすだった。
今年、加藤さんが最後に植えた吉川なすから採った種なすだった。
記者さんが言うには
「加藤さんの奥さんが、若い人が作っていると言ったらすごく喜んでいて、この種なすをその人に渡してくれと頼まれたんです」とのこと。
大きな種なすは、傷一つついていなくて、立派ななすだった。
加藤さんが先代から受け継いできた吉川なすの種を
僕は受け取った。
全身から冷や汗が流れ出たような
そんな緊張と電撃に似たものが体を流れる一瞬があった。

どこで作っても、吉川なすは吉川なす。
伝統種だろうが、新しい野菜だろうが、西洋の野菜だろうが
僕にはそれがうまいかどうかが大事だ、と何度もこの日記で書いていた。
今もそう思っている。
僕らは、作って食べる、という単純な行為の連続を生活の中心にしている農民なのだ。
なんでも鑑定団的な、わけのわからん付加価値などとは無縁の世界観の中で、
交換価値よりも使用価値を尊む。
それは変わらない。
だから、外部からつけられていくレッテルの一つに
「伝統」というものが最近横行しているが、
それも僕に言わせれば、交換価値でしかなかった。

それがどうだ。
この手にある種ナスは。
一体何なんだ。
僕の中に、電撃に近いものが流れたのだ。
感動といえば、そうなんだろう。
あったこともない人の、人伝に聞いただけの伝統の話を
僕は勝手にそれを内面化して、あたかも、その伝統の旗手にでもなったような
まるで僕がこれからこの伝統を紡いでいくような、
ちゃんちゃらおかしくて、へそが茶を沸かしそうなのだが、
そんな気概が、僕の中に生まれてくるのだ。


そうか、これが伝統なんだ。

そうか、これはこれで、僕にとってだが、使用価値なんだ。


僕は、その種なすを手にすることで
伝統が、ある種の電撃と共に体をつきつ抜ける感動と
勝手な思い込みの連続であることを知った。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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