神門 善久 著 『偽装農家』.2009年.飛鳥新社.

なんともすさまじいタイトルの本ではないか。
このタイトルにつられて、読むことに。
本書は、90ページ程度の薄い本で、内容としては、同著『日本の食と農』を簡単に分かりやすくした感じの本という印象を受けた。ページを薄くした分、議論の内容も薄くなり、その分論調も極端になっているように思う。
さて、氏が言う偽装農家とは何か。
それは、収入は農外産業への就労で賄いつつ、各種助成金や農業政策の恩恵にあずかりながら細々と農業をしつつも、生産性が低く、農地の転用機会がやってくれば、さっさと農地を売り払ってしまうような農家のことを指しているようである。
こういう事例は、何も特別な農家ではない。
表面的にこの言葉を捉えて、それに当てはまるような農家を僕の周りで探すのは、そうむずかしいことではない。
ただし。
ただし、である。
はたして、この言葉は正確に現在の農家を捉えているのだろうか。
本書の中では、ある農事法人の事例が紹介されていた。そこでは、ある企業による、農地を倉庫として転用する機会に、賃借料の高い倉庫へ次々と農地を転用していく土地持ち非農家の姿と、それによってその農地を借りうけていた農事法人が大きな損害を受けた話が、簡単にだが紹介されていた。同じ農家として、またここでもそういう事がおこらないとも限らないだけに、背筋の凍る話であった。
しかし、この場合においても、この事例に関わっている土地持ち非農家のほとんどが、その転用機会を期待して、言わば本当に農業をやっているように装っていた農家として存在していたわけでもあるまい。
問題は、神門氏も指摘しているように、雑な都市計画と虫食いに農地転用を許可する農業委員会であろう。それは僕も同意見だ。
だからといって、農地の売買における、農地としての利用価値と転用された時の価格に圧倒的な差があり、それによって農地転用をしようという農家(もしくは非農家)を僕は偽装農家とはとても呼ぶ気にはなれない。
なぜなら偽装農家という言葉の場合、積極的に、主体的に、その個人が、言わば農家のように装っているという印象を受けるからである。そうではないだろう。そういう転用機会が発生してしまう制度上の不備が問題なのではないだろうか。そういう制度上の不備を抜け穴としている農業員会や都市計画の頭に偽装という言葉をつけるのであれば、まだ納得できる。

神門氏は、日本の食と農でもそうであったが、どうやらフリーライダーを絶対に許すことができない性質なのであろう。僕もそういう輩は許せない。が、だからといって、市民参加型で土地利用の計画を立てるのはどうなんだろうか。オープンに都市計画や農地計画を立てるは良いような気もするが、日本の食と農の読書記録でも書いたが、市民の持つ農業に対する眼差しに僕らの農的営みが左右されるのは、正直不安でもある。各種メディアで最近賑わっているような農業の捉え方(ノスタルジック・企業的あり方)で、僕らの農業が規定されていくようで、そうした眼差しが僕ら農民の中に越境してくるのを感じることが多い。僕ら農民は、農地によってその農の形が決まっていく。そういうした言わば自分たちの営みを、同じ眼差しで見ることができないかもしれない人々と一緒に作り上げていけるのかどうか、とても不安だという点で、氏の論には同調できなのである。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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