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今日は、
インドネシア研修生の講義の日。
60分の授業を準備するために、2時間以上かけてパワーポイントを作成した。
忙しくて忙しくて、毎日、目が回りそうなのだが
これをやらねば、僕の平常心が保てない。

さて、今回の授業は
農業構造シリーズの市場的要因について。
今目の前に広がっている農業が、なぜそのように展開されているのかを
ただ単に「先進的」や「近代的」などといった
単線的な発展論の視点で捉えていては、
農業がなんたるかを見損じてしまうだろう。
今目の前にある農業を理解するには
それにかかわる要因を一つ一つ紐解いていく必要があるのだ。

長い前置きになったが、今回の授業は市場的要因。

現在、僕の経営体としてかかわりのある市場は
少々の差異はあるものの、だいたい5つに絞られるだろう。

市場(JAを通したり通さなかったり)への出荷
仲卸やスーパーとの直接契約
直売所や個人などへの直販
インターネットで販売
近所の住宅街での振り売り

「振り売り」は父や祖母が冬になると行っているので
正確には僕が直接かかわっているわけではないが
それでも販売の1つのチャンネルには変わりない。

現在の日本の流通において、
多様な販売経路と市場が存在しているが
だいたい、これら5つの市場に収まってしまうのではないだろうか。

今回の授業を行うに当たり
2回ばかり、実地見学を行った。
卸売市場の見学とスーパーと直売所の比較見学。
インドネシアでもpasar indukと呼ばれる中央市場が
比較的大きい都市に存在している。
農家もそこへ出荷するのだが、そこで競りがあって値段が決まるわけではない。
相対(あいたい)取り引きが主流で、農家と商人とが
一対一で価格交渉をして販売をしている。
農家では販売価格の交渉が難しい場合、
もしくは出荷量が多い場合は
市場に出入りしている中間業者に、
相対取り引きの間をマネージメントしてもらうこともある。
出荷量が多い農家を除いて
中間業者と農家の関係は
常に、農家がやや搾取されている関係が多いのも特徴的だろう。
値段交渉が競りでは行われないために
価格決定のプロセスがブラックボックス化しており
そのことがさらに農家への搾取を許しているように
僕には見えてしまう。

2人の研修生を福井の卸売市場へ連れて行き
競りを見学させたのだが、
やはり2人とも僕と同じように
「競りは農家も見ることができるので、価格がどうやって決まるのかも解りやすいです」
と言っていた。

直売所では、4月から来た研修生のイル君が
出荷物の価格を農家自身が決めていることに感動していた。
農家が価格を決められることは、インドネシアの市場において
ほとんど無いのである。

これらを踏まえて、今日の市場的要因の授業。
見学で見てきた市場とインドネシアの市場の違い、
とくに価格の決定におけるイニシアティブがどこにあるのかを
話しながら説明をした。

そしてここからが本番。
2枚の写真を見てもらった。
1枚目は、地平線の彼方まで広がっているレタス畑の写真。
2枚目は、転作田を利用して、数十種類もの野菜を栽培している数畝(数a)畑の写真。
この2枚の写真で展開されている農業の違いは何か、
それを答えなさい、というお題を出した。
4月から来たイル君が
「近代的な農業と伝統的な農業の違いでしょうか」
と、こちらの思惑にはまりこむような答えをしてくれた。
昨年から来ているH君は、僕の言おうとしていることが薄々分かっているようで
その答えを聞きながら、ニコニコしていた。

答えから言えば、大きな違いはその畑がつながっている『市場』なのである。
1枚目の地平線の彼方まで続くレタス畑は、
他県の知り合いの農家で、大手ハンバーガーチェーンと直接契約をして
出荷している畑であった。
2枚目の写真は、直売所付近に住んでいる老農の畑で
出荷物のすべてを直売所で販売している。
大手ハンバーガーチェーンとの契約では、
規格にそろったレタスを大量に出荷しなくてはならない。
その市場からの刺激を受けて、効率よく栽培している写真が1枚目と言うわけだ。
一方、直売所では規格がそろっている必要はあまりなく
また、レタスばかりが大量に売れるわけでもない。
そのため直売所という市場から受ける刺激で
その老農は、多いものでも20株程度しか1品目を栽培していなかった。
その代わり、何十もの品目を栽培していたのである。

どちらが儲かっているのか、は、
この場合、適切な指標にはならない。
それぞれの農家が、それぞれの経営体に合わせて満ち足りていれば
それでいい。
要は、畑だけを見て、その栽培法や技術・テクノロジー・規模などに圧倒されてしまって、
(伝統に対するノスタルジックな眼差しや美化された自然観もこれらと同じ視点)
先進的‐伝統的(もしくは後発的)といった
単線的にしか発展していかないような(もしくは2項対立的にとらえてしまうこと)
思考に陥っていては、目の前の農業のダイナミズムに気が付くことはできないのである。

マルクスには悪いが、
生産力が生産様式を生む、とは僕は思わない。
市場の刺激から新たな生産様式が生まれる、と僕は思うのである。

技術は十分条件であり
市場は必要条件なのだ。
農学を学んだ人間の多くが(また一般の人のステレオタイプとしても)
その学問で学ぶ技術的なものに目が行きがちであるが
それは僕に言わせれば瑣末なことに過ぎず、
もっと大きな視点に立てば、「市場」の存在に気がつくはずである。
僕らの生活は、ものを交換することがベースとなって社会を築いてきているのだ。
その交換する場が「市場」。
それぞれの地域に存在する市場を
資源として認識できるかどうかで、農業の形も変わってくるのである。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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