昨日の続き。

一方、Hくんの話。
H君のところは、野菜栽培の面積は少ない。
水源がしっかりしているので、1年に3回、米がとれる。
ただ、雨期になれば、水源のない土地でも野菜が作れるため
雨期には野菜栽培も盛んだとか。
ただし、それらは
米を作って、その余った時間を野菜栽培に向けている
といったものらしい。

H君の近隣にも大きな工場があるとのこと(外資・国内資本両方)。
それらの工場は、食品の加工から服や靴(アディダス)を作る工場まで様々。
H君の住む村の人も、それらの工場で働いているらしい。
そしてその人たちは、イル君の村の人と同じように
農地が極小かもしくは持っていない人たちだと言う。
では、仮に、その人たちが農地を取得した場合
イル君の村の人のように、工場労働を続けながら、
その余った時間で農業をするのだろうか。

H君の答えはこうだった。
「それはありません。農業でやっていけるのなら、工場で働くことはやめると思います。現にそういう人も多く村の中にはいます」とのことだった。
ただ、公務員などの待遇の良い職の場合は、
その仕事を続けながら、サイドビジネスとして農業をする場合もあるのだとか。

H君の村では、米の自給がもっとも重要だと考えている。
だからたとえ換金性が高くて、米よりも儲かる野菜栽培であっても
水源のしっかりしている田んぼで野菜作りはしない。
野菜作りはどちらかといえば「余技」なのだ。
それを村外の市場に持ち出すルートも、車やバイクの入れるような道はなく
近くの幹線道路まで、収穫物を担いで持ち出さないといけないのである。
収穫物を集めて回る商人の存在も少なく、
村内の貧富の差はイル君のところほどではないが
その代わり、流通から刺激を受ける野菜栽培はなかなか発展していない。

工場の種類もイル君とH君とでは大きく異なっているだろう。
農産物(お茶)をそのまま出荷できるお茶加工場と
農業とは直結していない服や靴の工場、
または直接買い上げを行っていない食品加工の工場。
つまりは、農家から直接買い上げを行っている1つの市場として
工場が機能しているかどうかも、その地域に与えるインパクトとなる。
イル君の村では、米を作るよりも付加価値がつくお茶を
その近くの市場から受けた影響で、栽培をしており
その中で、米は買って食べるもの、という意識が培われていった。
一方、H君の村では、伝統的なジャワらしい意識が残っており
主食となる米の存在は絶対なのであろう。
食いっぱぐれのないように営んでいくのが農業だとすれば、
イル君の農業は換金の中で計算されており
H君の農業は主食となる米によって計算されている。
どちらかが優劣というわけではない。
その意識に支えられて、その地域の農業が出来上がっていくのである。

では、この2点から見えた意識の違いの分析を
僕の村まで延ばしてきて見てみたら、どう見えるのだろうか。

続く
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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