ずいぶんと日数が経ってしまったが、
ブギス人とトラキ人の話をもうひとつだけしておこう。

今年の2月末に、インドネシア・東南スラウェシ州クンダリまで
家族で調査旅行に行った時の話。

食とは何かを知るには、文化を跨いで考える方が
自分たちの食意識やそれにつながる構造的な仕組みも
時にはより鮮明に見えてくることがある。
海外で、異文化ので、はたまた日々の差異の中から、
僕らは些細なことからいろんなことに気づかされる時がある。

クンダリの農村調査でむらの中を歩き回っている時に、
僕はある作物を目にした。
それは「オクラ」。
僕らにとっては、ごく一般的な野菜の一つ。
特に珍しいこともない。
日本的な視点でそう思って歩いていれば、
目の前にとても不可思議なことがあっても
それは認識されることもないまま、通り過ぎてしまうこともある。
ただ、僕には、いやかつての協力隊の同僚の経験として、
(僕には追体験として)
オクラに関しては、すこし苦い思い出があるのである。

オクラは日本人にはポピュラーでも、
インドネシアではそうとも言えない。
中国人や日本人社会で一部流通もみられるが
僕が長く滞在した西ジャワや南スラウェシでは、
ローカルの市場やスーパーではほとんど見かけることがなかった。
そのオクラを野菜隊員であった同僚は、普及させようとしていた。
一緒に活動していた農家の圃場で、栽培は簡単にできたのだが、
結局、売り先が見つからず四苦八苦していたのを
今も覚えている。
(ちなみに後任の隊員も同じ苦労をしていた)

オクラは日本ではごく当たり前の食べ物でも、
インドネシアではあまり見かけない野菜の一つだったのである。
そのオクラが、クンダリの村の庭先に無造作に植えられていたのである。

その翌日。
ブギス人とトラキ人の農家に集まってもらって
水田稲作とサゴヤシ、陸稲、トウモロコシ等の主食に対する文化的な価値について
聞き取りをした(その1、その2を参照)。
ある程度、満足いく答えを得た後、
雑談的に、前日に見かけたオクラの話を農家にしてみた。
すると驚く答えが返ってきた。

トラキの農家は、
「あああ、それは家庭菜園でよく作っている『コピガンジャ』っていう作物だよ。沢山とれれば、近くの市場に売ることもある。うちで取れないときは、他でもらってきたり市場で買ってくるよ。スープに入れたりして、よく食べる野菜だよ」
と答えた。
それを聞いていたブギスの農家は
「え!?コピガンジャ?聞いたこともないし、見たこともない。もちろんそんなもの食べたこともないよ。」
と言っていた。
トラキの農家がブギスの農家に、その野菜(オクラ)を説明すると
ブギスの農家は
「あああ、あれか。トラキの家のそばに生えているのは、よく見かけてはいたけど、あれって食べる野菜だったか。勝手に生えていると思っていた。近くの市場もよく行くけど、今まで気がつかなかったよ」
と笑っていた。
そしてさらりと
「あれってあんまり美味そうじゃないよな」
とも言っていた。

そのブギスの農家は、クンダリの村に移住して来て
すでに21年が過ぎようとしていた。
地元のトラキを見習って、ここの人間になるつもりで
移住してきたとも語っていた彼らだったが、
トラキが普段からよく食べているオクラには気がつかなかったようである。
そもそも食べ物という認識もなかったようだ。

この話は別にそれら農家が、そこの人間になる、という意思が
強いか弱いかという問題ではなく、
また、相手から学ぶ姿勢がなかったということでもない。
この話から見えてくることは、
食に対する意識などは(食文化と呼ばれているモノも含めて)
社会のどこか公のところに鎮座ましましているわけではなく
個人の食卓もしくは台所という、私的な領域の中で形成されるという
とても当たり前のことなのだが、意外と無視されやすい事実なのである。

何か公に大々的に喧伝して、食文化を作り上げていったわけでもない。
個々の食卓を通じて、その日その日に食べられてきたものを
同じようにして食べていく中に、食の文化がはぐくまれていっているのである。
当然、各種メディアや噂や啓蒙活動等などを通じて得られた情報が
食卓を変えることがあるかもしれない。
しかしそれらが根付くのも、
やはり日々のその日その日を食べていくという実践の連続の中でのことである。
もちろん、個々の食卓とは、家庭とも限らない。
だた言えることは、僕らは何かに価値を置き
それを食べ続けることで(もしくはそれを食べないことで)
食に対する意識や価値を際立たせ、
そのまだら模様の意識と価値が、その地方、その民族、その国という
とても曖昧な枠組みのなかで、
輪郭がかなりぼやけながらも「食文化」というものを
を作り上げているにすぎない。

1日1回はサゴヤシを食べ、白とうもろこしと陸稲の方が水稲よりも旨いという価値を持ち
オクラを日々の副食として食べ続けているトラキの農家から
そして、何を食っても米を食わなきゃ、飯を食った気がしない、と言い放ち
オクラを「あれは美味そうじゃない」と言い切っていたブギスの農家から
学ぶことは多い。

トラキ人は、水稲は味は落ちると考えているが、労働効率が良いので、
JICAや政府が進めていた開墾事業をとても良く評価している。
ブギス人は、米食に至上の価値をおいているため
当然の如く、それらの政策を大歓迎している。

昔から権力というものは、民衆の腹を満たすことが至上の目的であった。
だから米食を最も大事な主食と認識している政府が、
水稲にかける情熱と資金は豊富となるのは当たり前といえよう。
しかし、それは一概に、民衆も同じように水稲に最も価値を
置いているとは限らないことは、これまでの事例でも明瞭である。
それでも水稲を望むのは、
それぞれの理由や翻訳があり、そしてそれで水稲の素晴らしさを(権力が思うような価値)
すべて受け入れたこととは別の話なのである。

食べ続ける中にこそ食の意識がはぐくまれ、
それが輪郭はぼやけていてまだらではあるが、
食文化というものが、地域や民族や氏族の中に見えてくるのではないだろうか。

振り返って、同じ目線で僕のいる社会を見渡してみると、
昨今、食に対する関心は社会では高いように見られる。
がしかし、それらは、日々の食べ続ける中に意識があるというよりも
各種メディアが「食育」や「大食い」などといった両極端に振れながらも
それらはどこかバーチャル的かつ理想の押し付け的にも感じる。
食に対する充実感の薄れなどと言われて
権力が食育基本法などというものを作り上げ
その中で派生してきた「理想的な食」が独り歩きしている現状は、
僕には、それは多様な価値にあまり重きを置かない水稲を推し進める開発プロジェクトと
なんの違いがあるのだろうかと思えてしまう。
良いところどりで、人々がプロジェクトを翻訳している間は良いだろう。
しかし、全体主義的に価値が固定化されていく閉塞感を
今の日本の社会、特に食に関しては感じる時がある(特にネットの中)。

僕もブギス人やトラキ人の農家のように
日々食べるという実践の中から、
僕なりの価値を大事にしていきたい。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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