日曜日は、インドネシア研修生への講義の日。
今回は、まんが農業ビジネス列伝のシリーズの中から
愛媛の直売所「からり」を取り上げて、討論をすることに。
2週間前からテキスト(まんが)をH君に渡し
分からない単語や意味不明な箇所は、そのつど、インドネシア語で伝え
なんとか最後まで読んでもらった。

毎回のことだが、このまんが農業ビジネス列伝の本読みでは
まずH君が、テキストについて15分間のプレゼンを行い、
その後に討論、そして補講という形をとっている。

さて、その「からり」。
JAが建てた直売所で、現在ではどこにでも見られる直売所の一つ。
直売所の運営に焦点があたっているのではなく、
直売所を通して、ある女性が農業の面白さに気が付き
舅や夫との関係の中で、農業労働者から農業経営者へと変わっていく様が
描かれていた。

直売所のもつ性格の一つに、
商品の価値を規定するものは、卸や仲卸といった中間流通業者ではなく
生産者と消費者のダイレクトなつながりのなかで生まれている、というのがある。
だから、木の切り株でも商品になるし、
消費者に浸透していない高級野菜(根セロリとか)は
いくら値段を下げても売れなかったりする。
それと対比して、物語の中で、主人公の「文子」さんを通して、
農業を経営する夫たちもまた、市場やJAの価値で商品が決められていく、
いわば、農業労働者でもあるという指摘があった。
まんがなれど、なかなか侮れない、鋭い指摘である。

H君との討論では、焦点は労働の喜びであった。
直売所の存在が、主人公「文子」さんを、夫や舅にこき使われる農業労働者から
自分で新しい商品を開拓して販売する農業経営者へと変えていく。
そしてそこには、農の喜び、ひいては労働とは何かを考えさせてくれるものがある。

H君に農業の喜びは何か、を尋ねてみると
「やはり作物が売れた時が楽しいです」と答える。
市場や商人に対しての販売では、自分の作物をプロの目で高く評価してもらった時が
その喜びを感じると言い、
消費者に直接販売した時は、美味しいなどとちょっとした会話を通じて
意見を交換できるのが楽しいと、H君は言っていた。
H君、君は、農業の喜びをすでによく解っているんだね。
こういう若者が、日本には少ない気がする。
少なくとも僕の周りには、あまり居ないのが残念だ。

農業を所得で見てしまえば、それはとてもみすぼらしい存在になってしまう。
今、僕の所得を見ても、30代がもらう平均年収の半分にもならないのだ。
それでも、十分豊かに生活できているし
特に不便も感じない。
家業というものが薄れ、仕事が選べるのはとても良い時代のような気もするが
片方で、何を選んでよいのか分からず
わかりやすい所得といった、それこそ自分の価値を下げてしまうようなもので
仕事を選んでいるのが、今の時代ではないだろうか。
労働の喜びは、なにもお金ではないのだから。

次にH君と議論になったのは、農村のジェンダー問題。
主人公「文子」はなぜ、舅と夫との農作業の中で
同等の農業経営者ではなく、農業労働者的な仕事であったのだろうか。
そこで、これまでの農村の女性の役割について講義をした。
昔、うちの祖母やそれ以前の時代、
「嫁は角のないウシ」と呼ばれた時代があった。
足入れ婚などといって、結婚前に何日間かお試しで
夫となる家に入り、仕事や家事をしたり、さらには夜のお勤めもし
合わなければ、やんわりと結婚を断られた時代もあった。
うちのむらでの聞き取りでも
そういう経験をしたお婆さんがいる。
(彼女の場合は、足入れ婚の3日間は接待されまくったそうだが)。
女性の権利なんてものは、ほとんどなく
いつぞやの大臣が放言した(こんな人間が自国の大臣だと思うと、情けない・・・)
「女性は子供を産む機械」なんてセリフは
その頃だったら問題にならなかったのではないか、と思うくらい
ひどい待遇だった。

性別的な役割ではなく、社会的文化的役割によって
マージナルにおかれてはいけない。
H君の地方では、田植えは女性の仕事らしい。
一般に日本でも昔はそうだったという記述が見受けられる。
が、うちのむらでは、男性も田植えをしていたと祖父母世代はいうし
インドネシアでも僕がかつて協力隊員として派遣されていた任地では
田植えにおいては、むしろ男性の方が、人数が多かった。

田植えについて、かつて読んだ宮本常一の本では
女性たちが自分たちの労働を誇らしげに、語るシーンがあったが
それは田植えという役割自体が
女性たちをマージナルな存在に置いているということではない、という指摘でもあろう。
社会的文化的役割が固定化されているという
個人の認識が、労働の喜びを奪いさるのではないかと思う。
制度の認知の仕方という話になると、個人の考え方のようにも捉われてしまうが
そうではなく、それは主体的な問題なのであろうと思う。

主人公「文子」は、舅と夫との労働の中で
なんとか喜びを見出そうとあれこれ試してみたのだが
そのすべてを夫や舅に金銭的価値によって否定されてしまった。
そして関係を変えるきっかけもなかった。
そこに現れた直売所「からり」。
売れないと夫から言われたものでも
文子は徐々に売り上げを上げていき、ついには夫からも認められ
経営を分けてもらい、農業経営者になる。
もちろん、所得向上も自信につながっただろうが
それ以上に、この物語を読む限り
そこには、労働への喜びがあるように感じる。
自分が評価されている、また皆と価値を共感し得る(文子の場合、夫と消費者と仲間たち)、
その主体的な感覚こそが、
僕らが労働をする喜びへとつながっているのではないだろうか。

H君との議論の中で、彼はどうしても労働の役割自体に
女性の問題を見てしまう傾向にあったのだが、
問題の本質は、それの役割自体ではないのだろう。
その中身として、それぞれの労働に対する主体的な喜びなのではないか
と僕は思う。
このあたりは、H君に伝わったかどうかは定かではない。
関連記事
Comment
Trackback













管理者にだけ表示を許可する

Comment form

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
09 ≪│2017/10│≫ 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ