インドネシア研修生への講義の話。
前回は、農を形作るものとして、
技術、社会、金融などの要素を説明。
今回は、少し話が大きくなって
政策、農業融資商品、国際関係を説明した。

国家政策は大きく農業の形に影響を与える。
そのあり方によって、その国がどういう農業の道を進もうとするのかが
ある程度決められ、そしてそれに沿って衰退するものもあれば
発展していくものもある。
農業融資はその政策を実行に移すときに用意される金融商品。
その融資をうけるべく、多くの農民は政策に沿った作文をし
そしてそれを実行しようとする。
国際関係は、その国の自治として農業の発展を自国なりに考えていても
時には、国家間の力関係により、ドラスティックに方向転換を迫られることもある。

これら3点を含む好例がある。
それは僕が青年海外協力隊に参加していた時に
地元自治体の農業局と推し進めた「アカワケギ栽培普及プロジェクト」であろう。
今回の講義は、この好例を紹介しながら
上記の3つの要素が如何に農の形を決めていくかを話した。

1998年のこと。
僕が派遣されていた自治体の農業局では
有用換金作物の栽培面積を増やすことに躍起になっていた。
それはインドネシアの全国的な流れでもあり、国家政策でもあった。
その1つに、アカワケギという小さな赤玉ねぎの普及事業があった。
そしてそれには、KUTという栽培を始める準備金としての金融商品が
用意されていた。

このプロジェクトに参加した農家は、
僕が抱えたエリアだけでも約50名。
栽培面積は、グループ圃場ということで数か所にまとめられ
総面積は1.2ha。
そのほか、地元農業局の指導のもと、その約2倍の面積で
農家によるアカワケギの試験栽培がおこなわれた。
それまで、それらの地域ではアカワケギの栽培経験はほとんどなかった。

アカワケギはインドネシア料理に欠かせない食材であり
かつ、価格変動が激しく、価格高騰しやすい野菜でもあった。
また価格変動が激しい割に、暴落が少ないという農業経営にとって
うまみのある野菜でもあった。
97年の平均価格が1キロ6000ルピア。
その年の最高価格が25000ルピア。
平均価格で売れても儲け率が高く、それに目をつけた国家が
金融商品を用意し、広く全国的に栽培を勧めたのは当然の流れであろう。

さて98年は、アジア経済危機の年であった。
前年の頭に1ドル2000ルピアから5月のスハルト退陣までの間に
1ドル14000ルピアまで、ルピアの価値が暴落した。
国家経済は破綻し、銀行は連鎖倒産を繰り返した。
ネズミ講や闇銀行が流行り、都市の失業者が大量に農村部に流れた年でもあった。
そんな中、やってきたのがIMF(国際通貨基金)。
国家経済の破綻を救うための融資が目的であったが
この機関は、政策改善の条件付き融資をする団体で、
このとき突きつけられた条件の一つに、
主要農産物4品目の関税撤廃(市場自由化)であった。
そしてその4品目の中に、アカワケギが入っていた。
有用換金作物として推し進めていた国家が
融資欲しさに国民を切り捨てにし、アカワケギの市場自由化を
いとも簡単に飲んでしまったのである。

当時の僕は、インドネシア語の新聞を自由に読み解くほどの語学能力はなく
僕のあずかり知らぬところで、僕が推し進めていた作物が
いつの間にか、市場自由化になっていたのだ。
そして、僕らが収穫を迎える1月前の8月、
大量のアカワケギがインドネシア市場に流れ込み
価格は1キロ300ルピアまで暴落したのであった。

僕らの栽培はある意味、成功だった。
良質のアカワケギの生産に成功しつつあり、
8月までの間、地元新聞で記事になり、県知事の視察もあった。
その注目も、価格が暴落した8月からは一転してしまった。
9月に生産に成功し、約10トンのアカワケギを収穫したのだが
その売り場がなかった。
どの商人も引き取ってくれないばかりか
収穫運搬のトラック運送費を農家が出してくれと言い出す始末。
それを支払ったら、その時の価格でいけば、間違いなく赤字になる状況だった。
農家は個々に細々と販売し、売れば売るほど赤字になっていった。
10トンの収穫物は、通常であれば、各農家を潤すものであったのだが
このときは、ただ単にお荷物にすぎなかった。
こうしてアカワケギ栽培普及プロジェクトは幕を閉じ
一大産地を目指した地元自治体の政策の中で
それが語られることはなくなった。
そして農家も、あれほど盛り上がったアカワケギの栽培であったが
この忌まわしき体験を忘れるためか
ほとんどの農家が、アカワケギを栽培継続しなかった。

国家政策、金融商品、そして国際関係。
これらの要素は、大きくその地方の農を形作るのである。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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