川講が行われる。
川の株(漁業権)を持っている人たちで毎年この時期に
魚の供養のため講が行われている。

参加者は9名。
ほとんどがうちのむらに住んでいる人たち。
場所は宿となっている人の家(毎年もちまわり)。
むらのお寺の住職にお経をあげてもらい、
その後、ちょっとした飲み会をした。

僕は今年漁業権を得て、初めて川講に参加したのだが
川講の歴史は古く、役員さんに代々引き継がれている道具箱をのぞくと
3冊の台帳が出てきた。

PC200010.jpg


一番古いもので、大正5年から始まっていた。
そこには河合村漁業組合とあり、
うちの集落以外の漁業権を持っている人がほとんど参加していないようなので
そのことを聞くと、
一番年寄りの人が、
「中角(上流の集落)のもんは河合村やけど、川向かいの船橋の連中と漁場を一つにしていたさけ、あっちでかたまってお講をしてたんや」
と教えてくれた。
行政村ではなく、どの漁場で漁をしていたかが、
どの漁業組合に所属するのかを決める要因だったようだ。
大正5年の組合員をみると、
既にあったはずであろう名字の記載がなく、
すべて名前のみで、どの家の人かはまったくわからなかった。
台帳にはお講時の予算以外にも漁師小屋こしらい(建設)等に
それぞれの組合員が労働力や物品・金銭等の拠出がどれくらいあったか、
克明に記録されていた。

飲み会では、一番の年寄りから昭和20年代の漁の様子が聞けた。
うちのむらの漁場は2か所あり
1か所で2組ほど組を作り、1組4人から5人集まって漁をしたとか。
その組に入るには、組頭からお誘いを受けるか、くじ引きで参加者を決められたという。
網はそれぞれの持ち網で、網を投げる順番を決め、
それぞれが順番に網を投げたらしい。
1回に投げる網は一人だけ。
朝から晩まで網が投げ入れられ、その日とれた魚を
組に参加したメンバーで分けたという。
「あの頃やったら、マスが1本とれたら、二日か三日は遊んでくらせたんや」
と、年寄りは懐かしそうに話してくれた。

こうして川講が終わった。
最後に、来年の役員(会計)を決めるのだが
「新しく入ってきたもんが、つとめるんや」というので
有無も言わさず、僕が会計となった。
なんだか最近、村の役が続くなぁ・・・。
まぁ、役をやらないと会の中身がわからないし
むらの関係や価値のあり方など、勉強になることばかりなので
役員をするのはやぶさかではないのだが。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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