保育園での財務部の会議。
財務部とは、保育園の増改築運動で1000万円を集めるために作られた部会で、
なんとかこの秋、めでたく1000万円を集めることができた。
今回の集まりでは、
今後何年後何十年後にくるであろう次の増改築運動の資料となるように
これまでの運動を総括することに。

ただ、ここで書くことは、その総括の会議を経て
僕が勝手に思うことなので、ここで書かれていることが、
財務部での会議の総括と必ずしも同じではないことを断わっておきたい。

さて。
1年にわたって活動してきた財務部。
その中で、3回、集中してお金を集める運動(キャンペーン)を行った。
1回のキャンペーンは約2か月。

第一の山と名付けられた1回目のキャンペーン(2007年の夏)では、
父母みんなの献金・募金の意識を高めるために
「とりあえず一口運動」
を行う。
まずは保育園に通う父母が一口だそうよ、と呼び掛ける運動で、
それなりに集金できたのだが、
一人一人出したかどうかをチェックして、出していない人に声かけをしてためか
個人的に攻撃されていると錯覚される人も多かったように思う。
ある程度のチェックは必要だが、
同時に、出さない人たちの不満をくみ取る仕組みも必要だっただろうと反省する。
運動を始めた頃は、『なぜ私たちが園舎の増築にお金を出さないといけないの?』と
不平不満が蔓延していた時でもあったので、
個人個人に声かけをして一口を出してもらうという活動は、
園側と父母側との間での不協和音が大きくなった原因にもなったように感じる。
実は、個人個人に声かけをして一口出してもらうという活動は
個人攻撃ではなく、むしろ、個人の不満などをくみ取りながら、
園の考えを伝える、とてもよい機会にもなりうるのである。
やり方次第、ということもあろう。

第一の山では、
古紙回収やアルミ缶集め、街頭募金、フリマへの参加などがあった。
また父母OBへ献金お願いの手紙を皆で書いて送ったりもした。
その中で問題と感じたことは、
財務部で募金の活動が決定しても、その上部組織である事務局(運営委員会)に
いちいち活動許可のお伺いを立てないといけないことであった。
街頭募金は、その時間のロスで時期を逸したまま、最後まであまり行うことができず、
また、古紙回収などは第三の山では本格的に行われるのだが、
第一の山では、この連絡のロスで活動を始めるのがずいぶんと遅れてしまった。
募金運動をするために立ち上げられた財務部にある程度の権限がなかったため
財務部役員のやる気を削がせる結果となった。
これは最後の山まで引きずることになった。

第一の山で活動を行っていたのは結局、財務部の役員だけで、
園全体での盛り上がりに欠けていることが、問題として指摘された。
そこで、第二の山では(2007年冬~2008年年初め)
活動をクラス単位で行うことにし、キャンペーン中に各クラスの目標の募金額を決めた。
クラスの中で中心となって動く人は
財務部役員と父母の会役員と決められた。
クラス毎に達成金額を60万円と定め、
寄付・献金集めや物品等の販売、古紙回収など
収益を見込める活動を行っていった。
前回のキャンペーンと違い、
第二の山では、クラス単位で活動を行ったので、それまではあまり増改築運動に
関心のなかった父母までも、活動に巻き込まれる形となった。
増改築運動を始める前に、半年かけて増改築運動に対する説明や
それに対する不満を聞く窓口を保育園側は用意していたにもかかわらず、
また、第一の山ではそれほど噴出しなかった運動に対する不満が、
第二の山では噴出することになる。
これは僕の個人的な考えにすぎないが、
それまでは日和見的に運動を眺めていた父母たちが
運動に有無も言わさず巻き込まれたためではないだろうか、と考える。
また、運動が始まってからも一貫して運動に対して反対をしていた人達の
意見を汲み取ることもなく、ただただ突き進んでしまった運動に対する不満が
我慢ならないところまでたかまったからではないか、とも考える。
一貫して反対する人ほど、よく保育について考えており、
また保育園の活動に積極的に参加する人が多かったことも
ここでは特記しておかねばならないだろう。
よくよく保育園のことを考えるからこそ、
また自分の信念があればこそ、
一貫しての反対であったように思う。
その意見の多くは、耳を傾けるだけの価値があり
それを運動に汲み取るだけの組織的柔軟性を持ち合わせていれば
もう少し違った形になったかもしれない。

さて、この不満を汲み取ろうとしたのが、
父母の会であった。
保育園の事務局(運営委員会)の了承を得ない形で、
父母の会が増改築の不満を聞く会を数回にわたって開いたのである。
僕は、基本的にこの会は賛成であり、上記したように、不満の中にこそ
良質の批判が存在すると考えていた(中には、ただただ不満を言う人もいたが・・・)。
この会を開いた時、運営委員会と父母の会の間で、すこしトラブルもあり
また一部父母同士の間でいざこざもあったのだが、
こうした動きが、第三の山では反映され、
とりあえず集めていこう、とそれなりに父母の間で運動の共有ができたようにも思う。
またこのトラブルがあったからこそ、
僕は、みんなができるだけ楽しく参加できる運動のイベントとして
体験田んぼを企画実行することができたのである。

第三の山(2008年夏)でも
活動は基本的にクラス単位で行うことになった。
古紙回収やアルミ缶回収をしたり、
映画会や地域の祭りに参加して、食べ物や物品の販売を行ったり
夕方、保育園の玄関でミニバザーを企画したり、
クラス毎に友人知人に献金お願いの手紙を書いたりした。
この第三の山までにすでに750万円のお金が集められており
残りが、250万と終わりが見えてきたのもあろうが、
それでも運動が皆の中で共有できていた感があり、
特に財務部や父母の会役員といったコアメンバーが中心となって動かなくても
それぞれの父母の頑張りで、1000万円に到達できたように思う。

財務部の反省としては、
第一の山から一般の父母を巻き込んだ運動を作れなかったことであろう。
それができていれば、不満が出る時期も早く、運動の軌道修正も
もう少し楽にできたのではないだろうか。
また、不満を汲み取る機会も組織もなかったことも問題だと思う。
猪突猛進で突き進む組織は、けん引役として必要だが、
その一方で、批判や不満を聞き取ることができなければ、
道を誤ることにもなりかねないのだ。
全体に運動が浸透していく過程で、不満不平は当然だし、
運動自体も批判にさらされることで、改善の余地が生まれ
よりよい運動の形になるのではないだろうか。
第三の山では、ある程度運動の共有が生まれたようにも思う。
それが第一の山から行えていれば、もう少しスムーズだっただろうな、と想像する。
それと一番の問題は、財務部に活動の決定権が無かったこと。
役員で会議を開き、様々な活動を決めても、
それをいちいち運営委員会にお伺いを立てないといけないという状況は
組織的活動を鈍くするばかりか、
一部の役員による密室での決定という、もっとも効率が悪い手法で
さらに他の父母にいらぬ疑いが生まれ、また運動の広まりを妨げるものである。
財務部も各クラス代表くらいの組織で十分で、
運動の中心はやはりクラス単位が妥当ではないだろうか。
その単位の中で、増改築を議論することが大事だったように思う。

以上、僕が総括の会議を経て、勝手に思ったことを書いた。
とにかく1000万円集まって、本当によかった。
ご協力いただいたすべての方に、感謝の意を表したい。
本当に、ありがとうございました。
関連記事
Comment
Trackback













管理者にだけ表示を許可する

Comment form

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
07 ≪│2017/08│≫ 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ