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アレジャン創世記


sawa allejjang1



『むかしむかし、この世の全ては海に覆われていた』。
アレジャン集落長であるラエチュは、お世辞にも上手いとは言えないインドネシア語で、語り始めた。
『アレジャンだけで無く、後ろにそびえる山々も、その頂上を少し水面から顔を出している以外は、全て海の中だった。もちろん平地の村々も海の下だった。果てしない海だけが続いている世界だった』。


今回帰国してから1年が経ち、私は再びアレジャンの地を訪れた。
村人の歓迎を受け、ひとしきり再会の感動を村人と共有できた。
やはり訪ねてよかった。
そう思ったその夜のことだった。
私は隊員の時と同様にラエチュの家に宿泊していた。
その夜も多くの村人が、ラエチュに家にあるテレビを見にやってきた。
ラエチュは大の映画好きで、特にインド映画がお気に入りだった。
インドネシアでは、よくインド映画がテレビで放映される。
役者たちが筋書きに関係なく、突然踊り狂うインド映画の良さを
未だに私は理解できないのだが、アレジャンのみんなはとても好きだった。
この夜もインド映画がテレビで放映されていた。


いつもなら、ラエチュは1等席でインド映画のダンスに見入っているのだが、
この夜は私が泊まっていることもあって、彼は私の向かいに座っていた。
日本の話、私が帰ってからの集落の話とひとしきり盛り上がった。
すると、ふとしたことからラエチュは語り始めた。
それはアレジャンの昔話だった。


『むかしむかし、この世の全ては海に覆われていた。アレジャンだけで無く、後ろにそびえる山々もその頂上を少し水面から顔を出している以外は、全て海の中だった。もちろん平地の村々も海の下だった。果てしない海だけが続いている世界だった。ある時、1艘の船が後ろの山の頂上に漂着した。後ろの山の頂上は海から出ていたからだ。その船が漂着すると、海の水は急に引き出し、今の大地が海から顔を出した。船に乗っていた人々はその大地に住み始めた。これが我々ブギス人のおこりなんだ。隣りの集落のメンロンには、その時の船が今でも残っている。(その船は)もう石になってしまっているが』。

海洋民族ブギスらしい逸話で、海から先祖たちはやってきたと考えている。
ノアの箱舟をほうふつさせる話だった。
しかし、ブギスのおこりがアレジャン近辺だったという話は、少々信じ難くもあるが・・・。
そこで、アレジャンのおこりについても聞いてみることにした。


『わし(ラエチュ)のおばあさんのお父さんのときの話だ』。
ラエチュは1930年生まれ。
今年で72歳になる。
時代を正確に知ろうと、おばあさんは幾つまで生きたのかを尋ねると、ラエチュはこう答えた。
『100か200かそれくらいは生きていた。ペランの父はもっと長生きだったと聞く』。
ラエチュ曰く、昔の人は平気で100以上生きていたとのこと。
旧約聖書の創世記に出てくる人たちも、やたらと寿命が長い。
旧約聖書とはあまりにも時代がかけ離れているが、
アレジャンの創世記に登場する人も皆長寿だったという。
ラエチュのおばあさんはペラン(Pelan)といった。
その父の名前は、ラエチュは記憶していない。
ペランの父は、まだペランが生まれる前、
アレジャンからバル県境の山岳を越えた向こうにあるボネ県に住んでいた。
住んでいた集落の名は、テラン・ケレ(Telang・Kere)。
そこで青年期のペランの父に不幸が起こった。
集落内の政戦に敗れたのである。
テランケレの集落長は、ペランの父が寝ている時に突然大人数でペランの父を襲ったのだった。
ペランの父は命からがら逃げ出せたが、行く当ては無かった。
またあわてて逃げ出したために、何の財産も持たず、ただ枕1つを持ち出しただけだった。
それからペランの父はその枕ひとつで、険しい山脈を越え、今の地にたどり着いた。
その頃はまだアレジャン集落は無く、アレジャン集落からさらに山奥に、
タワン・ルル(Tawan・Luru)という集落があり、
ペランの父が今のアレジャンの地に住み始めると同時に、
タワンルル集落から6家族が移動してきて、住み着いた。
それがアレジャン集落の始まりとされている。
現在100軒を越えるアレジャン集落も、その昔は7家族しか住んでいなかった。
そして、ペランの父を含めたそれら7家族が、アレジャン7名家となって現在につながっている。


7家族が住み始めた頃は、イラッコ(Ilakko)という人物が集落長を務めていた。
この人物が私の大親友であるサカルディンの血筋にあたる。
かつてのその地の名家も、今ではマレーシアに出稼ぎに行かなくてはならなくなっている。
盛者必衰とはこのことか。
さて、イラッコは難病にかかって、100歳前後で死んだらしい。
その後に集落長になったのがイラッコの息子ソロである。
そしてこの時代に、バルの王様が引き起こしたある事件がきっかけで、
『アレジャン』という名が付いたという。
その事件というのは、王が領内を視察していた時だった。
王は土を踏んではいけないというしきたりがあったため、
領内の視察には常に駕籠を用いた。
もし駕籠から降りる場合は、敷物をしき、じかに土に触れないようにしたという。
しかし、アレジャンでは違っていた。
厳しい山岳地帯。急斜面の道。当然当時は舗装技術なんて無い。
王の視察は困難を極めた。
そして、その時事件は起きた。
王が駕籠から転げ落ちたのである。
土を踏んではならないと言われていた王は、これでもかと土を踏んでしまった。
その場所が今のアレジャンなのである。
アレジャンの語源は、アッレッジャ。
ブギス語で踏むと言う意味がある。
このアッレッジャがなまって、アレジャンとなりそれが集落の名となった。
王が踏んだ土地、これがアレジャンの由来だった。
由緒が正しいのかどうか良く解らないが、
幾つものコメディーを持つアレジャンらしい由来である。


この晩は、こうして更けていった。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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