週末は、
他のページで公開していたエッセイを
せっせと引っ越し中。


独立万歳!


 普段の通勤で使うペテペテの中では、実に多士済々の人物達に出会う。
その日も、私の期待を裏切らない人物に出会うことが出来た。
その人物はスラウェシ島の独立を願う闘士だった。


 1998年の暮れから1999年の3月にかけて、
南スラウェシ州では10年に1度来るか来ないかの大雨に見舞われた。
ラニーニャ編でも書いたが、多くの橋が流され、主要の道路のいくつかが土砂崩れで寸断された。
道路のアスファルトもはがれ、ところどころに雨の浸食による大きな穴を作っていた。
まともに車が走れる道ではなかった。
アレジャンからバル(事務所のある町)までは、ペテペテを使って1時間かかる。
しかし、ラニーニャ後は1時間半からひどい時で2時間かかることもしばしばだった。
こんな時、日本だったら早急に道は舗装しなおされ、
橋はかけなおされ、土砂崩れは取り除かれているだろう。
しかし、一部の主要道路を除いたその他の道では、
半年以上が経ったその時でも、なんら工事される事無く放置されていたのである。
当然橋もかけなおされていない。
この話は、そんなある日の出来事である。


 普段の朝。
インドネシア独特のコーヒー(フィルターを使わず、粉を直接入れて飲むコーヒー)を飲み干し、
仕事場であるバルの事務所に向かう私。
いつものように、道路沿いでペテペテを待つ。
遅い。
この国で、しかもこの集落で、
乗り物の到着が遅いことは常識なのだが、それでも遅い。
ラニーニャの影響で隣りの集落では土砂崩れがあり、
半年経った今でも、車1台分の土砂しか取り除かれていない。
そのため、ただでさえ遅いペテペテがさらに遅くなる。
当然、イライラはつのる。
日本人特有の神経質さを私が持ち合わせているからではない。
『遅い』という言語を持ち合わせていないのだろうか、
と疑いたくなるアレジャン集落の人も、
ラニーニャ以後のペテペテの遅さにはウンザリ気味だった。
ペテペテがようやく来る。
待ちくたびれてように乗る。
車内は、どこか雰囲気が暗い。
ふつふつとした不満がみなの顔に浮かんでいる。
私が今回話題に取り上げたいと思った人物は、
アレジャン集落から4つ離れたウロという集落で乗ってきた老女である。
老女はペテペテに相当待たされていたようで、
ペテペテに乗ってくると同時に悪態をついていた。
老女は運転手に、『おい!遅いじゃないかい!』と悪態をついた。
ペテペテには時刻表は無い。
どこかの会社が運営しているわけでもない。
乗客を乗せても良いという許可を取った車を運転手が勝手に走らせているだけである。
この場合、老女の悪態はほとんどと言って良いほど、いいがかりである。
運転手は、
『道がこう悪くては、速くは走れない。いつもと同じ時間に出てるのだけど…』
と弱気だ。
老女は、運転手の言葉を聞こうともせず、イライラした感情をまくしたてた。
『だいたい、何ヶ月たっても道は直らないし、橋なんてかかりやしない。いつだって、スラウェシのような外島はよくならないんだよ!ジャワ島を見てごらん。洪水があっても、土砂崩れがあっても、すぐに直しちまう。ジャワばっかりが、良い目見てるんだよ!』。
話が大きくなってきたが、確かにそうである。
ジャワやスマトラは、予算が豊富にあり発展が進んでいる。
他の乗客も、老女に賛同するように、
『そうだ!俺たちから取った税金で、ジャワばかりを良くしている!』
と言いす始末。
老女の話はさらにエスカレートする。
『だいたい、なんだいあのIMF(国際通貨基金)っていうのは!経済危機になってから、あいつらが乗り込んできたけど、銀行ばかりがつぶれるだけで、ぜんぜんこの道よくならないじゃないかい。橋だってかかりやしない』。
IMFがこの道を直してくれることは無いと思うが…
などと思っていると、さらに話は続く。
すでに乗客はその老女の話に聞き入っていた。
『それから、アメリカだ!ジャワ人はアメリカの言うことばかり、聞いている。だからだめなんだ。だからこの道が直らない。私はね。みんな聞いてくれよ。アメリカ人やジャワ人がこの地に来たら、刺し殺してやるつもりだよ!』。
完全に老女の思い込みであるが、そこまで話すと突然、運転手が、
『ムルデカ!(独立だ!)』と大声をあげた。
老女も『ムルデカ!』とつづく。
乗客の大半は叫びはしないものの、口々に『ムルデカ、ムルデカ』と唱えていた。
『スラウェシは大きな島だ。なにもジャワ人と一緒になっていなくても、十分成立つさ。今こそ独立をして、我らの英雄ハビビ(インドネシア3代目大統領:詳しくは選挙編を参照されたし)を初代大統領に迎えよう!』
そこまで話すと、老女の目的地であった市場に着き、
老女は買い物かごを大事そうに抱えて、市場の雑踏の中に消えていった。
車の中には、独立だけが残っていた。


 インドネシアは、多民族国家である。
独立をして、まだ50何年しかたっていない。国としては、まだまだ若い。
インドネシア国民として、多くの若者がインドネシア人として教育を受けてきたが、
民族意識は確かに残っている。それは普段は表には出てこない。
しかし、今回のように、何かの不満がつのれば、それはいつでも簡単に目を覚ます。
東チモール、アチェ特別自治州、アンボン島、西カリマンタン、中部スラウェシ、イリアン・ジャヤ州。
独立運動と民族闘争は、いつもどこかで起きている。
平和な昨日が、今日の安寧を約束してくれる事は無い。
たとえそれが、アレジャンのような僻地であっても。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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