こんなこともあった。
『異文化理解』。
すばらしい言葉で、言うは簡単だが、
実際の中身には、恐怖と痛みが常にある。



kepala dusun
私と集落長(入村当時)

田谷が死んだら…

ふとしたことから、私が初めてアレジャン集落に入った時のことを思い出した。
どうも私の記憶は、時間配列とは関係なく出来ているらしい。
いつも突発的に思い出す。
今回の話も記憶の中に埋もれてしまわないうちに、書きとどめる事にする。

1998年1月20日。
私は、初めてアレジャン集落に足を踏み入れた。
協力隊による村おこしプロジェクト
(正式名称:バル県地域総合開発実施支援プロジェクト)の一員として赴任したのは、
昨日の事だった。
村の実情をすばやく把握するために、
新米の隊員は1ヶ月間プロジェクトサイト内の村に寝起きしなければならない。
私には、アレジャン集落が選ばれた。
そして、赴任して次の日には、アレジャン集落に投入されていた。

私の上司であるチームリーダーと共に、アレジャン集落に向かう。
ところどころ舗装されている道を揺られながら。山を1つ越える。
まだつかない。
一体どこにおくられるのか?
不安で硬くなる私。
約1時間車を走らせた先に、ようやくアレジャンが見えてきた。
私を受け入れてくれる家は、アレジャン集落の集落長ラエチュ氏の家だった。
大きな家だった。
『柱が100本ある家』と村人からは呼ばれていた。
私たちがその家に着いた時は、ちょうどラエチュ氏は不在だった。
家の人が出てきて、リーダーは簡単な挨拶を済ますと、
『じゃ、田谷君頑張って』と言い残し、そそくさとバルの町に帰っていった。
置き去りにされた気分だった。
その頃は、まだインドネシア語もろくに話せない。
知らない民族語を話す、知らない民族の家。
事前情報で、『ブギス人はもともと海賊として名をはせた民族で…』
とレクチャーを受けた事を思い出す。
みんなの顔が海賊に見え出した。怖くなってきた。

私が寝起きするはずの部屋に通して欲しい、
とりあえず部屋に行きたかったのでそう伝えた。
しかし、集落長の家にいた家人は不思議そうに私を見ているだけだった。
インドネシア語を解さないのか、私の言う事が通じないらしい。
居心地の悪い時間が流れる。
どうしたら良いのだろう?早くも日本の平和な日常が恋しくなった。
結局、その家人は私を30分あまり見つめていて、私もその場にただ力なく座っていた。
その間、会話は無かった。

その恐ろしい沈黙を破ったのは、ラエチュ氏だった。
帰宅したのだった。
ラエチュ氏は、背が高く体格がしっかりしていた。
眉間には、深々としわが刻まれていて、
黒く日焼けした肌は厳しい農作業と彼の人生を物語っていた。
船の上に乗せさえすれば、そのまま海賊の頭領で十分通る。
その彼は、私の前に座り、開口一番にこう聞いてきた。
『おい。お前が死んだら、どうすれば良い?』。
…私は、いますぐ日本に帰ろうと決心した。

ラエチュ氏は、何も答えない私に、さらに質問をしてきた。
『ここでは、墓を作って土葬している。しかし、聞くところによると、お前はイスラムではないらしいな。だとしたら、お前が死んでからどうして良いのか、解らん。死んでからでは遅いので、生きているうちに教えろ』。
なんでそんな事を聞くんだ?
今はじめて、このアレジャンに来て、
これからここで生活…つまりは生きていこうと思っている人間を目の前にして、
お前が死んだらどうすれば良いか、なんて聞けるのだ?
日本からお土産だって持ってきた。
自分の日本での生活も写真にして持ってきた。
当然、この場はお互いの習慣の違いや生活の違いなどで盛り上がるはずなのに。
それが交流と言うものではないのか?
しかし、私とラエチュ氏は、埋葬の習慣の違いから交流をはじめていた。
『答えろ。お前が死んだらどうして欲しい?』彼は続けた。
仕方なく私は、
『火葬してください』
とだけ、力なく答えた。
ラエチュ氏は、火葬という言葉にしきりに驚いていたが、
『火葬か…。よし分かった。お前が死んだら火葬してやろう』と答えると、
満足したように家の奥へと消えていった。
その後、私はようやく部屋に通された。
明日ここを出ようと決心していた。

結局、この集落、この家に3年住んでしまった。
居心地が良かったわけでもない。
楽しかったわけでもない。
飯が美味かったわけでもない。
通勤のことを考えれば、片道1時間は辛かった。
しかも、楽な道ではない。
ここだったら火葬してもらえる、そんな安心感があったわけではない。
しかし、毎日この家に戻ってきていた。
愛しのアレジャン集落は、これからも書き続けるだろう。
私が毎日アレジャンに帰っていった答えが見つかるまでは。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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