この悲しいエピソードが、僕の原動力となっていた。
その紙幣は今でも大切にしまってある。
協力隊の時や留学時にどうしても行き詰ってしまった時に
よくその紙幣を眺めて、改めて自分の出発点を確認することも
たびたびあった。
今、研修生を受け入れているのも、やはり原点はここなのかもしれない。

南アフリカの紙幣
『異国の紙幣』上
ここに一枚のお札がある。
手垢でぼろぼろになった、南アフリカの紙幣だ。
ある青年はこの紙幣を命のように大切に持っていた。
今回はこの紙幣にまつわる不幸な青年の話をしよう。
1998年の3月。
アジアの経済危機が猛威をふるい、
インドネシアの大手銀行が軒並み倒産した。
ルピア(インドネシアの通貨)は大暴落し、失業率は天井知らずの上がりっぱなしだった。
物価も上昇した。スーパーの表示等が目まぐるしく変わる。
この経済危機は、国民に銀行離れを引き起こし、『たんす貯金』を流行させるにいたる。
資金の少ない我らの集落アレジャンでも、
『どこどこの銀行が危ないらしい』と、
預金など無くうし銀行以外の銀行に足を踏み入れた事の無い親父たちでも
騒いでいるくらいであった。
空前絶後の大不況。
ある者は、金を買い込んだ。
ある者は、銀行から預金を下ろし家のたんすにしまいこんだ。
あるアレジャンの者は、うしを買い足し、うし銀行に預けた。
皆、資産をどう管理すればいいのか、必死だった。
そんな時、南スラウェシ州(アレジャンのある州:州都はマカッサル)で、
けったいな金融商品が登場した。名前はKOSPIN(コスピン)である。
その内容は思いっきり眉唾もので、
3ヶ月たつと掛け金が1.5倍になり、6ヶ月たつと掛け金が3倍近くになるというものだった。
私の記憶が確かなら、1年たてば掛け金が10倍になるという。
この大不況下のインドネシアにあって、
金利のべらぼうに高い定期預金のような金融商品が出てきたのである。
さらにこの商品が眉唾なのは、『お友達紹介』があるというところだ。
何人かは忘れたが、掛け金を出した当事者がお友達をコスピンに紹介して、
お友達もこの金融商品を買うと得点がつくという代物。
このお友達紹介は、殆ど義務に近かったと聞く。
こういうものを、日本では『ねずみ講』や『闇銀行』などと言う。
しかしこの不況時に、ねずみ講などを知らない愛すべきブギス人たちは、
ほとんど狂乱した様相で、コスピンに参加していった。
それはまるで、ハーメルンの笛に酔いしれて海におぼれていくねずみのようだった。
そして、それから半年もしないうちに、当然のことなのだが、コスピンは弾けた。
800億ルピアの被害だった。
コスピンの主催者は、1人は逃げ、1人は捕まったが刑務所の中で姿を消した。
しかし、800億ルピアは、1ルピアたりとも被害者に戻る事は無かった。
何故こうもみんな危ないコスピンにはまっていったかは、また別の項を用意しよう。
ここでは、南アフリカの紙幣にまつわる青年に話の焦点をあてたい。
さて、800億ルピアの被害は、あろうことかアレジャン集落の人間まで巻き込んでいたのだった。
それも1人や2人ではない。
掛け金の大小はあるが十数人が被害を受けていた。
ただでさえ、お金が無い集落なのに…。
さらに驚くべき事は、その1人はなんと1000万ルピアも被害にあっていたということだった。
その青年の名は、サハルディン。
温厚で冗談ばかり言っていて、音痴だったが歌が好きだった明るい青年。
家は決して裕福ではない。むしろ貧しい。
農業を営んでいるが土地は広くなく、日陰になりがちの土地が多いせいか、
毎年の収量もぱっとしない。
自作の収穫物では食べていけないので、
アレジャン集落で裕福の家の小作をやって、食いつないでいる。
母と弟の3人暮らし。父は前年に他界している。
相続の関係で叔父たちに土地を取られてしまったという、
全くスタンダードな(どこにでもいる)アレジャンの青年だった。
父が死んで、幾ばくも無い土地を相続し、
インドネシアが不況になり、コスピンが登場したとき、青年は考えた。
『これで俺もお金持ちになれる』と。
それからの青年の行動は鬼神にまさるものがある。
親戚を回り、知人を訪ね、時には家財の一部を売るなどして、大金を作った。
1000万ルピア。
この当時の公務員の初任給が30万ルピアくらいだった事と照らしてみても、
いかに大金だったかが解ってもらえよう。
そして、サハルディンはコスピンに全額を預けた。
1年満期のコースを選んだ。
10倍になるはずだった。
小作から抜け出せるはずだった。
相続でもめた叔父たちを見返せるはずだった。
しかし、コスピンは弾けた。
つづく
その紙幣は今でも大切にしまってある。
協力隊の時や留学時にどうしても行き詰ってしまった時に
よくその紙幣を眺めて、改めて自分の出発点を確認することも
たびたびあった。
今、研修生を受け入れているのも、やはり原点はここなのかもしれない。

南アフリカの紙幣
『異国の紙幣』上
ここに一枚のお札がある。
手垢でぼろぼろになった、南アフリカの紙幣だ。
ある青年はこの紙幣を命のように大切に持っていた。
今回はこの紙幣にまつわる不幸な青年の話をしよう。
1998年の3月。
アジアの経済危機が猛威をふるい、
インドネシアの大手銀行が軒並み倒産した。
ルピア(インドネシアの通貨)は大暴落し、失業率は天井知らずの上がりっぱなしだった。
物価も上昇した。スーパーの表示等が目まぐるしく変わる。
この経済危機は、国民に銀行離れを引き起こし、『たんす貯金』を流行させるにいたる。
資金の少ない我らの集落アレジャンでも、
『どこどこの銀行が危ないらしい』と、
預金など無くうし銀行以外の銀行に足を踏み入れた事の無い親父たちでも
騒いでいるくらいであった。
空前絶後の大不況。
ある者は、金を買い込んだ。
ある者は、銀行から預金を下ろし家のたんすにしまいこんだ。
あるアレジャンの者は、うしを買い足し、うし銀行に預けた。
皆、資産をどう管理すればいいのか、必死だった。
そんな時、南スラウェシ州(アレジャンのある州:州都はマカッサル)で、
けったいな金融商品が登場した。名前はKOSPIN(コスピン)である。
その内容は思いっきり眉唾もので、
3ヶ月たつと掛け金が1.5倍になり、6ヶ月たつと掛け金が3倍近くになるというものだった。
私の記憶が確かなら、1年たてば掛け金が10倍になるという。
この大不況下のインドネシアにあって、
金利のべらぼうに高い定期預金のような金融商品が出てきたのである。
さらにこの商品が眉唾なのは、『お友達紹介』があるというところだ。
何人かは忘れたが、掛け金を出した当事者がお友達をコスピンに紹介して、
お友達もこの金融商品を買うと得点がつくという代物。
このお友達紹介は、殆ど義務に近かったと聞く。
こういうものを、日本では『ねずみ講』や『闇銀行』などと言う。
しかしこの不況時に、ねずみ講などを知らない愛すべきブギス人たちは、
ほとんど狂乱した様相で、コスピンに参加していった。
それはまるで、ハーメルンの笛に酔いしれて海におぼれていくねずみのようだった。
そして、それから半年もしないうちに、当然のことなのだが、コスピンは弾けた。
800億ルピアの被害だった。
コスピンの主催者は、1人は逃げ、1人は捕まったが刑務所の中で姿を消した。
しかし、800億ルピアは、1ルピアたりとも被害者に戻る事は無かった。
何故こうもみんな危ないコスピンにはまっていったかは、また別の項を用意しよう。
ここでは、南アフリカの紙幣にまつわる青年に話の焦点をあてたい。
さて、800億ルピアの被害は、あろうことかアレジャン集落の人間まで巻き込んでいたのだった。
それも1人や2人ではない。
掛け金の大小はあるが十数人が被害を受けていた。
ただでさえ、お金が無い集落なのに…。
さらに驚くべき事は、その1人はなんと1000万ルピアも被害にあっていたということだった。
その青年の名は、サハルディン。
温厚で冗談ばかり言っていて、音痴だったが歌が好きだった明るい青年。
家は決して裕福ではない。むしろ貧しい。
農業を営んでいるが土地は広くなく、日陰になりがちの土地が多いせいか、
毎年の収量もぱっとしない。
自作の収穫物では食べていけないので、
アレジャン集落で裕福の家の小作をやって、食いつないでいる。
母と弟の3人暮らし。父は前年に他界している。
相続の関係で叔父たちに土地を取られてしまったという、
全くスタンダードな(どこにでもいる)アレジャンの青年だった。
父が死んで、幾ばくも無い土地を相続し、
インドネシアが不況になり、コスピンが登場したとき、青年は考えた。
『これで俺もお金持ちになれる』と。
それからの青年の行動は鬼神にまさるものがある。
親戚を回り、知人を訪ね、時には家財の一部を売るなどして、大金を作った。
1000万ルピア。
この当時の公務員の初任給が30万ルピアくらいだった事と照らしてみても、
いかに大金だったかが解ってもらえよう。
そして、サハルディンはコスピンに全額を預けた。
1年満期のコースを選んだ。
10倍になるはずだった。
小作から抜け出せるはずだった。
相続でもめた叔父たちを見返せるはずだった。
しかし、コスピンは弾けた。
つづく
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