いろいろなリアリティの中で過ごしていた事が、
改めて思い知らされるエピソード。
真実が何かを探求し、それを押し付けるよりも
ある事象を多くの人が多感に認知しあうのが、
この世の中だ、ということが、なんとなく気がついてきたエピソード。
異文化で過ごすことはすばらしい。
が、異文化で過ごすことは、痛くてつらい。


財宝編

『田谷!お前いい加減にしろよ!』。
その男は突然怒り出した。
『お前の魂胆はわかっているんだ!さっさと白状しろ!』。
それはある休日の昼下がり。
私は家で(アレジャン集落長の家)のんびりとコーヒーを飲んでいる時だった。

その日は、農閑期の休日で、村人たちものんびりと昼寝や賭けドミノを楽しんでいた。
私は普段、休日はアレジャン集落から120㎞ほど離れた都市(マカッサル)で過ごすことにしている。
自由にお酒を飲むためだが、この日は気分が乗らずアレジャンで休日を過ごしていた。
と、そんな日のけだるい午後、1人の若者がアレジャン集落長のラエチュ氏を訪ねてきた。
名前は忘れてしまったが、アレジャン集落の人間ではない。
アレジャン集落の北西にある山を越えた麓に、バンガバンガエという名の集落がある。
アレジャンと同じような寂れた農村だ。
その若者は、そのバンガバンガエ集落長の息子だ、と名乗っていた。
ラエチュ氏に用事とのことで、コーヒーを飲みながら読書をしていた私の横で、
ラエチュ氏とその若者はなにやら話しこんでいたが、
現地語(ブギス語)を解さない私は、内容もわからないし興味も無かった。
ここまでは日常のなんてことないひとコマだった。

ラエチュ氏との話にひと段落したようで、ラエチュ氏は昼寝のために、家に入っていった。
が、その若者は帰ろうとしない。私をじーっと見ている。
なんだか不気味だった。
何か用なのか、と尋ねる私。
すると彼は
『日本人が珍しいから見ていた』
とそっけない答え。
そして、なおも私を凝視している。
凝視されるのは、あまり気持ちが良いものではない、やめてくれないか、
と伝えると、彼は自分のことを話し始めた。
『俺は、マカッサルにある教育大学に通っている大学生だ。だから、何でも知っている。かつてこの地を制圧した日本軍についてもだ。父や祖父からも聞いたし、大学でも勉強した。どうだ』
と不敵な笑みを見せる。
そうか、それは良かった、二度と不幸な戦争を起こさないためにもしっかり勉強してくれ、と私。
期待した答えを得られなかったのか、彼は仏頂面で語りだす。
『日本軍は本当にひどい事をした。俺たちから財宝を奪い取っていった。』
今から50年以上昔にこの農村に財宝があったかどうかは、甚だ疑問ではあるが、
日本軍が財宝を奪い取ったという言い伝えがあるという事をここかしこで聞いている。
真意は別として、事実当時の日本軍はインドネシアに対しいろいろな形で干渉している。
まことに申し訳ない、と謝る私。
それを聞いて、彼は
『それなら、いますぐ財宝を返せ』
と言葉静かに、しかし凄みのある低い声で言った。
財宝を?返せ?なんだか話が飲み込めない。
日本軍が奪っていった財宝は、私は良くわからないから、返せといっても…と言葉に詰まった。
当然だ。私は当時そこにいたわけでもないし、生まれてもいない。
血縁者がその地にいた事実も無い。
第2次大戦で、日本軍が行なった悪行ひとつひとつを正確に調べたわけでもない。
大まかに日本軍がおこなった事実を知っているのみである。
彼は、私の答えにいらいらしている様子だった。
しきりと貧乏ゆすりをし、髪をかき上げている。
『お前は政府が送った人間なんだろ!』。
語尾が強まる彼。協力隊事業は国の政策の一つなので、
日本政府が送ったといっても間違いではない。
そうだ、と答える。
しかし、誤解を避けたいため、
協力隊について、そして自分が農業の指導でここにきていることを説明した。
すると、私の言葉半ばで、彼は立ち上がった。
『田谷!お前いい加減にしろよ!お前の魂胆はわかっているんだ!さっさと白状しろ!』。
彼の目には明らかに怒りが読み取れる。
『さっさと財宝の位置を示した地図を出せ!日本軍は敗戦の時、大慌てで逃げたのは知っているんだ!財宝をここの山のどこかに隠したのも知っている!お前は政府からその財宝を見つけて来いと命令されて来ているんだろ!』。
その大声を聞いて、近くで賭けドミノをしていた、私の大親友サカルディン(アイス好き)が駆けつけてくれる。
私と彼との間に入り、なんとか彼をなだめようとしてくれた。
すると彼は少し落ち着きを見せ、
『わかった、わかった。俺も乱暴は好まない。ここは話し合いで行こう』という。
サカルディンは、私と一緒に農業指導の仕事をしている。
そこで、サカルディンからその若者に、私の活動を説明してもらい、
彼が考えているような事(財宝探し)は全く無いと説明した。
彼は一通り私の活動、そして世界中で活躍している協力隊の話に耳を傾けてくれた。
彼は大きくうなずき、
『俺も大学まで進学していて、馬鹿じゃない。田谷の立場は良く解る。それじゃあ、半分を田谷が持ち帰っても良いので、もうそろそろ財宝の地図を出せ。お前は農業指導と言って、田畑や森をくまなく歩き回っているのは知っているんだ。財宝を探すためだろ?』。
…あんた、なんにも解ってないよ。
呆れてものが言えなかった。
ここに来て既に1年と半年が過ぎている。
勿論この若者のいるバンガバンガエ集落へも何度となく足を運んで活動している。
サカルディンも呆れている様子だった。
バンガバンガエ集落長の息子を名乗る彼は、
『また来る。今度来る時は地図をもらうからな』と捨て台詞を残し、去って行った。

次の日、バンガバンガエの若者の噂は村中に広まっていた。
出勤のために乗り込んだペテペテの中でも、話題はその話だった。
私は少々大げさにその時の話をすると、皆はなんて間抜けなやつだ、と大笑いをした。
1年以上一緒に過ごしたアレジャン集落の人なら私が何しに来ているかは、百も承知である。
『農業指導の援助と日本軍の回し者を区別できないとは!』
と私の横でひとしきり大笑いしていたおじいさんが、
『でも、本当はどこに財宝があるんだ?』とペテペテを降りがけに密かに聞いてきた。

3年間アレジャンにいて、ついに日本軍の財宝にはお目にかかっていない。
勿論探してもいない。その後彼とも会っていないし、村人もそれ以上財宝の噂をしなかった。
が、しかし、アレジャンに財宝はあったのだ!
それは、3年間という時間。それは、少々粗暴で純粋な彼らとの出会い。
それら全てが、今私にとってかけがえの無い財宝である。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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