一昨日の続き・・・

さて話を畑に戻そう。
出荷用のブロッコリの畑では、どうしても害虫が大量発生する。
そりゃ、当たり前だ。
自然界の中で、ブロッコリばかりが群生することなんてありえない。
だからブロッコリ畑の中で、虫や微生物のバランスは、
自然界のように保てるわけが無い。
つまりは、そもそも大量出荷用の畑は、不自然なのだ。
だから、虫や病気が、非常なレベルで発生する。
その不自然な畑を自然に戻そう、と害虫ががんばっている、
なんて、物の見方をする人も少なくないが、
そんな畑を見ていると、僕もそう思えてしまうから、不思議なものだ。
僕は、そういった人間的な物事の捉え方で自然をみるのは、
人の傲慢では無いかと思うこともあるが、
しかし、そういった人々の眼差しが、
暮らしや価値、文化を作りだす上で、もっとも重要な要素だと思う。
以上は余談。

さてさて。
すでに出発点において、ブロッコリ畑は、不自然な状態であるため
自然の力を利用して栽培を続けることは、困難になる。
(まぁ、それでも日光や降雨などの力は借りているのだが)。
ブロッコリの養分も外から投入しないといけないし、
害虫の発生は、天敵による駆逐を期待できないため、
初めから農薬散布しか手は無いのだ。

自家菜園でも、やはり不自然な状態ではある。
ただ、その不自然さの度合いが、出荷用の畑とは違うのである。
そして、方向性については、まったく逆方向と言っていいほど
この2つの畑は、別のベクトル上に存在している。
自家菜園では、できるだけ自然の力を借りながら、
といっても、ただ単に、いろんな野菜や植物を混植するだけの話なのだが、
そうすることで、農薬散布から解放される。

1日目に書いたように、2つの畑は目的も違うだろう。
自家菜園は、自家消費用だから、傷があろうが、曲がっていようが
少々虫が食べていようが、まったくかまわない。
しかし、出荷用の畑ではそうは行かない。
なぜなら、市場を通すからである。
傷があってはいけないし、曲がっていてもいけない。
虫食いがあれば、文句を言われる。
市場では、現物・品種・産地といろいろな取引要因があるが
栽培法へのこだわり取引や、
まして生産者の野菜への想いに対する取引なんて無い。
哲学者の内山節は、このこだわりや想いを取引できる市場のあり方として
産直に期待をよせているが(僕も期待している)、
一般市場流通の中ではやはりそれらは、
取引対象ではない、ということであろう。
これらの取引は、すべて見た目と品質・そして実績で、価値が決められている。
ある意味、栽培法へのこだわりは、品質向上の情報の一つとして、
市場でも生き残り、ある意味、それだけは切り取られて
スーパーマーケットなどに、野菜と一緒に飾られたりもするが、
所詮、そんなものは、小売まで行く過程で、飾りと化してしまうのである。
消費者が、
「傷があっても良いし、曲がっていても良い。虫食いだって平気だから、安全な野菜を」
と言ったところで、問題はそういうところだけにあるんじゃないのだ。
傷があったり、虫が食っていれば、日持ちはしない。
曲がっていれば、輸送に不便。
作る側と消費するだけの側との実際の距離が遠い、という問題もあるだろう。
また、見端の良い野菜から売れて、悪い野菜は売れ残るのが現実だろう。
こういった流通の中で、売り上げられた数字だけが情報として残り
蓄積され、次の売買のデータとして残る。
市場流通の過程で、
野菜のトータルな情報は、市場が価値を感じる物だけにそぎ落とされ、
それだけが、消費するだけの人に伝えられるのである。
そして、数値化された売り上げデータが、生産者側に残るのである。
作る人と食べる人の距離、そしてその間にある市場が感じる価値。
さらに、市場を通り抜けて届く情報の種類。
それら要因によって、僕は出荷用の畑の作り方を
自家菜園とは違うように規定されているのである。

などとすべてを外因にして、逃げをうつわけではないが、
そういう要因もあることは事実であろう。
ただ、すべてが市場原理というわけでもあるまい。
厳しい労働条件の改善は、常に農民が渇望していたわけだろうが、
現在の生産様式を是としていたわけではあるまい。
しかし、結果として、
石油を大量に消費することが基本となっている農法へ移行していった。
自家菜園においても、その使用量に違いはあるが
まったく石油資源を使用しないわけではないのである。
ただ、これらの生産様式であることへの恩恵は、
効率性という意味では、出荷用の畑の方が強い。

こういった生産様式と市場、そしてそれを支える思想によって、
自家菜園と出荷用のブロッコリ畑は、それぞれに存在しているのである。
無農薬で出来るか出来ないかの問題ではないように思える。
なぜなら、それらは単線的な議論ではなく、
その畑を規定する価値の要因(外因・内因)がなんなのか、の問題なのであろう。

最近、素朴にこう思うことがある。
安全な野菜を!と声高に叫ぶ人は、
消費するだけの存在から脱却して、たとえベランダであっても良いから
自分で何か作り始めてはどうだろうか、と。

僕の中で、自家菜園と出荷用の畑は完全に独立して、
別個に存在しているわけではない。
生産様式(石油資源・農薬への評価)と価値(市場的・思想的)、
さらには、目の前に広がる自然環境との付き合いの中で
それらの要因がカオス的に交じり合って、それらは同時に存在しているのである。

おしまい
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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