うちのむらは、農村と呼ぶには農家比率が昔から少ない。
約150戸中、70戸ほどが農家(農地を持っているという点で)。
大きな川の合流地点なので、流通の要所でもあった。
周りの集落に「市」という字がつく名前の集落もいくつかある。
川下にある三国には、北前船がついたという事実も大きく影響している。
川を利用した輸送が頻繁だったころは、うちの集落にも芸者がいる
船宿があったらしい。
3階建てだったので、「おしろ」と呼ばれていたとか。
輸送や馬の売買をする博労もいた。
今ではすっかり寂れたむらなのだが、
そういう背景もあって、昔から非農家がうちのむらは多い。
余談だが、僕が幼いころは、機屋が20戸ほどあった。
今では中国に押されまくって、3戸あるのみ。

さて、そんなうちのむら。
川沿いということもあり、漁師も多かった。
以前は20戸ほどあったという。
前にも書いたが、5戸1組になって川の地引網が組織されていた。
川に対する近代的な思想と制度が浸透し、
川に対する権利を主張していた人たちがいなくなったり、排除されたりで、
(昔は河川事業が多くて、金銭がらみでの悶着が多かった)
今では、漁業権という形で
むらの中に残っているのは、10数株のみ。
その1株を、ようやく取得した。
という今日のお話。余談ばかりですみません。

取得にかかった金額は、公にはできないのだが、
昔から考えたら、かなり格安だった。
仲介の労をしてくれた半漁半大工の棟梁は、
「おれが若い頃に取った時は、100万以上はかかった。株(漁業権)をゆずってもらうだけじゃなくて、株を取得したら、漁業権持っている連中を連れて、一晩飲みにつれて回らなきゃいかんかったんや。これから仲間に入れてもらいます、どうかよろしくお願いしますってね。株よりもその飲み代の方が高くついたくらいなんや」と言っていた。

今では、そういう会を用意しなくてもいいとか。
ほっと安心するのだが、顔見せの会がないのもどこかさびしい気もする。

株は、いったんうちの集落から出てしまったものを
僕が買い戻した形となった。
株を持っていた家とは、江戸時代までさかのぼると、
親戚になる家(といっても数代さかのぼると、親戚意識は強かっただろうけど)。
なので、いろんな意味で、今回の漁業権の取得は感慨深いものとなった。

これで雑魚は釣りたい放題。
サクラマスもOKだ。
それにその棟梁が
「夏の終わりから秋にかけて、鮎をとるさけ、お前もついて来いや。網の使い方、教えてやる」と誘われている。
うちのむらに脈々と受け継がれている、農ではない、もう1つの営みの形に
僕は、ようやくエントリーできた。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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