内山 節 著 『農村文化運動 No.186』:「むらの思想」と地域自治.2007年.農山漁村文化協会.

むらとまちを行き来する哲学者が、国家が作り上げてきた思想ではなく、民衆の中に続く思想(絶え消えそうになっている思想)を読み解いた本。九州熊本での講演をもとに編集した本。

本書は3部の構成になっている。第1部では、貨幣の思想と流通の形成、そしてそれらとともに形付けられていった農村を解説している。地域内流通では基本的に使用価値を流通させている(p14)のだが、「地域内で消費できないほどの余剰生産を可能にしたのは(貨幣の思想に支えられた)流通の成立なんだとこうことは認めておくしかないでしょう」(p20)と指摘している。そしてそれらの流通は、農民の自発的な行為で始まったわけではなく、租税(米など)や売買といった行為から生まれている、と解いている。また第1部のなかで流通によって生まれた家業について、継承されるべきは労働の継承なのか家の資産なのかを議論している。「いつの時代からか、農村でありながら、労働よりも、農地とか田畑、家屋敷の不動産的価値をみるようになった。実際にいくらで売れるかは別だけれども、自分の家の資産というようなとらえ方で、それを他人に譲るなんてバカらしいという感じになってしまった。だから、自分の子どもは農業を継ぐ気がないのに、跡をとらせる人を探そうともしない。それは家業ではなくなってきた証拠で、日本の農業を解体させている要因ではないかという気がしています」(p22)。この指摘は大変重要で、農地をどう考えるべきかに対しての答えになるのではないだろうか。

第2部では、国家の思想によって形作られた歴史ではなく、民衆の歴史の中から、我々が本当に大切にしなければいけない伝統思想について解説している。日本の伝統的精神と思われがちなものとして武士道や靖国神社や天皇家の宗教行事などがあるが、それらは実際に伝統的精神でも民衆の思想でもなく、国家が民衆を管理するために利用した儒教的精神であると指摘している。内山は、自分が住む上野村を例に、村の持つ土着的な信仰と結びついた仏教の世界を解説している。村人の魂が死後、穢れを取り除きながら自然(じねん)へと戻っていくという思想を紹介し、それを共有している村の持つ霊的世界の重要性を指摘している。共同体を生きている人間だけの利便だけで説明するのはでは「不都合だ」と言い、「生と死の両方をもっているのが本来の共同体で、この視点を、いま、共同体肯定派の人たちも忘れているのではないかと思います」(p57)と批判している。

第3部は、歴史に対するまなざしについて説明している。儒教的な国家観による歴史の解読ではなく、民衆の思想から見える歴史が重要だと指摘している。歴史は事実ではなく、それを眺めている我々側にその動機があり、我々のそのときの精神に裏打ちされた認識によって、歴史の解釈は変わることを指摘している(この辺りのくだりは、同氏の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(2007年.講談社.)の方が詳しく解説されている)。
100ページに満たない小冊子なのだが、内容は濃い。共同体や家業と市場と労働の関係を考える人は、必読の本。特に農業的資産が実際に計算されている資産価値ではなく、労働の継承にあるとする氏の論理的展開には、興奮を覚えた。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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