多目的農舎を建てている。
これは前から日記に書いてあるとおり(カテゴリーの研修事業を参照)。
その農舎を建てる場所に、柿とミカンの木があった。
ミカンは樹齢5年ほど。
柿は30年ちかいものだった。
それらの木は、そのまま引っこ抜いて捨ててしまうには
もったいないので、切り倒し、今年建てるであろう新築の家の
薪ストーブの薪にしようと、野積みしておいた。
今日は時間があったので、手斧で細枝を落とし、粗朶を作る。

約600gの手斧だが、1時間も振り続ければ、汗でびっしょりになり、
手もしびれてくる。
そんな姿を祖母がみつけ
「なつかしいのぉ」とつぶやいた。
父がまだ幼かったころまで、うちの村にはガスがなかった。
かまどで調理をしていたのだ。
祖母はその頃の話をしてくれた。

うちの村は川沿いにあり、山は無い。
田んぼの真ん中に位置する村で、雑木林も昔からなかったとか。
では、どこで薪(木炭も)を手に入れたのか。
一つは川向にある山の村から購入していたとの事。
ただ全部を買おうとすると高くついた。
そこで、川沿いに生えている柳を薪代わりにしたとか。
今現在では護岸がされていて、川沿いの木は一掃されてしまったのだが
昔はずいぶんと林になっていたとか。
田んぼの収穫が終わった晩秋(11月半ばから終わり)。
しば刈りの仕事が始まったと祖母は言う。
柳の長く伸びた枝だけを刈り、それを束にして持ち帰る。
その束は雨の当たらないところで干しておく。
その束を「ほい」と呼んだとか。
「ほい」が山済みされる頃、
うちの村では、冬が本格的になる。
「それでも」と祖母は言う。
「それができるのは器用な人だけやった。器用じゃない人は、薪を買うしかなかった」。
なんだか、僕が見てきたインドネシアの田舎に似ている話だ。

うちは川沿いの村である。
だから漁師もかつては多くいた。
その人たちも、手が器用な人は、柳を刈っていたのだが、
そんなちまちましたことが性に合わない人は、
夏の大水を待ったとか。
うちの川は暴れ川である。
梅雨の頃になれば、1度は大水が出た。
そうすると、気性の太い漁師は、大水の頃に船を出し、
上流から流れてくる大木を探しに出たとか。
船には引き上げられないので、それを持って、岸まで引っ張ってくるのである。
そんな家が何軒かあったことを祖母は話してくれた。

最後に祖母は、
「昔は手が器用だったり、気性が太かったりすれば、それだけで生きていけたもんやった。今はなんでも金やね。世の中が進んで、良くなったのかどうか、さっぱりわからんね」と言っていた。
僕は、それを聞きながら、黙々と粗朶を作っていた。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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