内山 節 著 『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』.2007年.講談社.

本書で、内山は現象学的な立場から、その社会を覆っている精神(内山はそれを「精神の習慣」と呼ぶ)を明らかにしようと試みている。

内山は日本全国で聞かれたキツネにだまされた話が、1965年以降、なぜ突然として姿を消してしまうのか(新しく生産されない)を問うことで、近代性(合理的知性による思考とそれが望む物的精神的な実現)によって覆われてしまったこの社会の「精神の習慣」を明らかにし、その眼差しで現代を(そして「発展」)正当化しようとしている歴史や国民国家、社会システム等を批判する。

本書では、キツネが実際に人をだますかどうかは問題にしない。論じられているのは、キツネが人をだますという事柄を、事実として受け入れる社会の精神である。近代化の課程(教育・メディア・インフラの整備・経済成長等の「発展」)において、人々は合理的な知性を身に付け、その思考をもって世の中を見るようになる。そして人々がキツネにだまされなくなっていく。キツネはこの場合、それを信じる人々の生活において、その精神的世界を投影したものである。そしてそれは、合理的な思考に基づく現在の我々の知性(自覚・理性・意識)では、汲み取れないと内山は指摘している。その中で、我々が振り返る歴史(歴史学)は、国家の歴史学であり、それは近代形成の「発展」を正当化するように作られており、その知性で見る限り、我々にはキツネにだまされた人々の精神を歴史的に見ることは出来ないのである。「その「知性」とは何か。それは現在の問題意識によって再創造された知性である。(中略)現在の問題意識によって再創造された知性だけが、私たちにとっては自覚された知性として存在する。自覚された知性に映し出された記憶だけが、私たちが記憶として知っているものである。」(p150)。
知性では解りえない精神的世界(内山は生命的世界という表現を用いている)を、内山は「直観」「霊」「魂」などという言葉に仮託されて表現されてきたと言う(p154)。「里の生命の世界と神としての生命の世界とが重なり合うかたちで仮託されたものとしては、村の人々の通過儀礼や里の儀式、作法などがあったのだと思う。(中略)生命性の歴史は、何かに仮託されることによってつかみとられていたのである。」(p176)。

至極もっともな近代性への批判であり、ポストモダニズム的立場の論調である。これまでの内山の著書に強調されてきた「精神の習慣」を具体的にどう捉えるのかを試みた書であり、その意味では、これまでの近代化批判とは違って、前進が見られる。ただ、この批判はそのまま受け入れることは出来ない。
内山が言う「仮託されたもの」とは、人々がその精神で世の中(社会や自然との関係)を読み解こうとする活動の表象だと考える。その意味では、現代の合理的知性を精神の習慣としている我々も、世の中を読み解こうという活動は、たえず行っている。それは多くの場合、科学(自然科学・社会科学)という活動である(トンデモ・疑似科学もまた世の中を読み解こうと言う活動だが、科学とは別)。世の中を読み解こうとする試みの中で、科学的思考(合理的思考と一致するのかどうかが、この場合、議論の争点)は、「キツネ」より汎用性が高く、世の中を説明することに成功してきたとは考えられないだろうか(帰納の問題)。ただその場合、内山のいう生命性の歴史が、科学によっては仮託されない、としているのは、科学がより汎用性が高く、普遍的であり、そのことで地域やその場その場の世の中の凹凸(ローカルの持つ特性・地域性)をフラットに変えてしまう力があるからであろうか。しかし、こうは考えられないか。科学が世の中を解説するときに、我々の中に土足で踏み込んでくるその普遍的な態度が、我々の日々の暮らしの中で直観や霊的な感性によって日々捉えられた「生命性の歴史」を踏みにじるのではないだろうか。では「キツネ」はそうならないのか。キツネの学問が進み、キツネ学なるものが成立し、どこか(場所や理論)が権威を持ち、日々の暮らしの現象をキツネで解説し始めれば、やはり我々は、我々の中に越境してくる何かの威圧感によって、手中にあった暮らしが、ただ単に解説された物に変えられてしまうのではないだろうか。

本書では、我々の意識によって、見えてくる歴史が変わってくる、という重要な批判をしている。精神の習慣を捉えることの重要性を明示している。しかしだからといって、我々が常に合理的知性によってとらわれているわけではなかろう。日々の村での暮らしでは、越境してくる普遍的で威圧的なもの(「キツネ」も含まれる)との戦いが常に個人なり社会(非常にローカルなエリア)なりで繰り広げられており、その越境してきた物は時にはローカライズされ意味や内容を変えて地域の中で再生し、時にはその物との出会いによって、地域の価値が変容していく。私はその「戦い」にこそ目を向けるべきだと考える。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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