妻から学ぶことは多い。

今日の出来事(農作業)を妻に話すのだが、僕にはどうってことないところで妻は驚いたり感心したり。はたまたその逆で、僕にとってはすっごく面白かったことでも、妻にはどうでもいいことだったり。そのギャップで、僕は新しいことに気がつくことが出来る。

そんで今日。祖母が家庭菜園用にとっておいたオクラの苗を、僕が知らずに自分の畑に植えてしまったという話をしたら、彼女にはヒットだった。僕にはどうってことない話だったのだが(というか、祖母に申し訳ない事をしたというのが話の主旨だったのだけど)、妻は農家の世帯の中で、それぞれ個人が個人の畑を持っていることに感心したようである。

僕の畑と祖母の畑は、まったく別々にそれぞれが管理している。だから、祖母の畑で祖母が何を作っているのかは、僕は良く知らないし、祖母も僕の畑についてはほとんど知らない。そして、これはうちの農園全体にも言える。同じ農園の中で汗水たらして働いているが、僕がほとんど関わらない野菜もある(たとえば、朝鮮アザミ・サンチュ・落花生・とうもろこしなどなど)。そういう野菜は、いつ播いたのかもいつ収穫する予定なのかも、正直しらない。その逆もあり、祖父や祖母が関わらない野菜も多くある。そしてそれらがいつ播いたか、いつ収穫する予定かは正確にはしらない。

いぜん内山節の『時間についての十二章』を読んだとき、個人の中で多層的な時間が流れている事に気がついた。そしてその時間は、そのものとものの関係の中で、いちいち違ってくる。一昨日に書いたが、エンドウと僕の時間は、農学的もしくはただたんにエンドウという一般的なマメ科の作物について解説されたものを読んで、その解説を知っていただけの関係では、いや地のため4年から5年ほど輪作したほうが良い、というものでしかなかった。でも祖父やこの集落の人たちには12年という時間をエンドウとの間で作っている。どちらかが間違いで、どちらかが正解という話ではない。エンドウとの間で、どういう時間が流れているかの違いでしかない。

昨日の日記は、言葉少なすぎて、自分でも今日読み返してみるとすこし変だと思った。ごんぼについてもエンドウと同じ。僕とごんぼは今年もその時間を結ぶことになるだろう。そしていや地も含めて、次の候補地選びにも頭を悩ますだろう。耕作禁止とのやりとりにも頭をなやますだろう。それはすべてごんぼを直接作る(解説されたものではなく)という行為を通じて、流れる時間だと思っている。

播種機は便利だ。来年から播種機無しでやれと言われても困るし、正直いやだ。だけど、やはり播種機を通すことで、祖父と祖母と母はごんぼとは直に関わらなくなったのだけは確かだ。個人の中では、時間は多層的に流れている。たとえ同じ農園で、目と鼻の先で作業をしていてもだ。それに意識的にならない限りは気付くことのない時間。そういうものがあると言うことを、僕は最近感じている。
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ほほえましい

つくづく、いい夫婦だ。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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