中谷内 一也 著 『リスクのモノサシ』:安全・安心生活はありうるか.2006年.日本放送出版協会.

現代は様々なリスクの問題に溢れている。鳥インフルエンザ、BSE、原発の安全性(耐震性)、不法表示の食品などなど、例を挙げていけばきりがない。しかしどのリスクも、同じような一律なリスクではない。本書では、リスクがあるのかないのかを議論するのではなく、リスクがどの程度あるのかを定量的に検証する必要があることを主張している。自分でリスクを判断できる「リスクのモノサシ」を筆者は提案している。

本書はリスクという情報に対して、どう人々が認知するのかを、社会心理学の分野から、わかり易く説明している。リスクが喧伝されるたびに、なぜパニックになるのか、なぜゼロリスク(リスクなしの社会)といった無理難題が生まれてくるのか、といった社会のリスクの受け止め方に丁寧に答えている。
リスクとは、白と黒がはっきりと分かれているものではなく、どんなにリスクが低くとも、灰色は灰色なのである。しかし、人々の認識は、どうしても白黒の判断になりがちになる。その大きな理由は2つある。1つ目は、「私たちの行為はイチかゼロいかというかたちにならざるを得ないことが多いからである。(中略)降水確率30%といわれても、行為選択としては傘を持参して外出するか、傘をもたないかのどちらかを採るしかなく、傘のうちの三割だけをもっていくわけには行かない」(p152)のである。
2つ目の理由としては、二分法(白黒で考える)的な判断になりがちなのは、「その方が定量的判断よりも認知的負荷-単位時間当たりに遂行しなければならない情報処理の多さ、頭を使う労働のきつさ-の点でラクだからである」(p153)。

筆者はこの2つ目の理由からさらに踏み込んで、人がある対象のものに対する態度の示し方として、二重過程モデルを説明している。このモデルでは人が対象について態度を形成するプロセスとして2つのスタイルがある。1つは、与えられた情報の内容を十分に考えた結果として態度が決まるという中心的ルート処理。もう1つは、もっと簡単な周辺的な手がかりによって態度が決まる周辺的ルート処理である(詳しくはp155)。このモデルでは、単に中心的ルート処理が良くて、周辺的ルート処理が悪いというものではない。どちらのルートで態度を決定するかは、その人に高い認知的負荷を受け入れるだけの強い動機付けがあるかどうかである。この点に考慮を入れなかったリスクマネージメントの例としてBSE問題をとりあげて解りやすく説明している。「政府関係機関の一般向けサイトやパンフレット類をみてみると、科学的な根拠に沿いながら一般向けにわかりやすく正攻法でBSE問題を伝えようという努力が垣間見られるのだけれども、その努力はなかなか実を結びにくい。なぜなら、政府機関や畜産業界でサイトやパンフレットを作成する担当者はBSEのリスクを理解する能力も、詳細な情報を読み解こうとする動機づけもあるだろうが、彼らが発信するメッセージを受け取る消費者側にはそのような高い動機づけは期待できないからである」(p158)。周辺的ルート処理は、高い認知的負荷をかけないで情報を処理するため、そのルートによる評価の結果は、問題となっているリスクを完全に避けるか(牛肉は一切やめておく)、あるいは問題を無視して以前どおりの行動をするか(これまでどおり牛肉を食べる)、というイチ・ゼロの二値的なものになりやすい、と筆者は指摘する。

また人が信頼する仕組みについても新たな視点を提示している。これまで山岸俊男などの著作で紹介されていた信頼の仕組みでは、対象となる人の能力についての認知と誠実さについての認知によって信頼が成り立っているとしていた。これを伝統的な信頼モデルと呼んでいる。このモデルでは、相手が誠実ではないと判断しても、能力が高ければ、ある一定の仕事に対しては信頼するという態度を人が示すと説明しているが、中谷内が提示するモデルはこれとは真っ向から対立する。彼が提示している信頼のモデル(SVSモデル)では、「ある個人が自分の主要な価値と、リスク管理責任者の主要な価値とが同じであると認知すると、そのリスク管理者を信頼するようになる。逆に自分にとって主要な価値とリスク管理者のそれとが異なると認知する場合には、そのリスク管理責任者を信頼しなくなる(このことを価値類似性という)」(p196)というものである。そのため「SVSモデルが正しいのなら、能力や誠実さをアピールしてもあまり意味はないことになる。なぜなら、それらは信頼を導くのではなく、信頼や主要価値類似性によって導かれるものだからである」と指摘する。これらの指摘は非常に重要な示唆を与えてくれる。たとえば、我々生産者が自分の生産物へのこだわりや農法・使用農薬の履歴などを科学的に分析したとしても、周辺的ルート処理で買い物をしている人々には、この情報は届かない。さらには、生産者の農家としての能力やこだわりなどを表示して誠実さをアピールしたところで、やはり信頼にはなかなか結びつかないことを示唆しているのである。相手の価値類似性を理解し、それに沿った情報発信が必要になってくるだろう。

さてそれらの考察(二重過程モデル・SVSモデル)から、筆者は社会共通のリスクに対するモノサシを提案する。本書で紹介されている事例は、人命にかかわる事例ばかりであるため、モノサシの基準(リスク比較セット)が落雷・自然災害・火事・交通事故・自殺・ガンがあげられている(右に行けば行くほど人命のリスクが高くなる)。報道されるリスクが、このモノサシのなかでどの位置にあるかを明示することで、周辺的ルート処理で評価する人にも、パニックにならずに、その情報を受け入れられるというものである。「感情的な影響をできるだけ除外して冷静にリスクの大きさを把握することが、標準化されたリスク比較セットを利用する目的である。」(p124)。筆者は、実際のリスクの中で苦しむ人たちの質的な側面は、文章や当人たちの語りから通してでないと伝えられないもので、報道番組や新聞などの記事で伝えられれば良いとしている。イチ・ゼロの二値的判断に陥りがちなリスクに対して、このモノサシはある程度は有効だろう。しかし、社会的なモノサシが形成される中で、人々の価値がそのモノサシへと標準化されていくプロセスには無視が出来ない。高い認知的負荷をかけないで物事を判断するためのモノサシは、わかりやすいものなのかもしれないが、複雑なものを解りやすくする過程で抜け落ちていく価値が存在することにも目を向けなければ、その狭間で周辺的に追いやられる人々が出てくるのも容易に想像がつく。現在進行中のグローバリゼーションの中で、猛威を振るうグローバルスタンダードこそその好例といえよう。社会的モノサシは、リスク理解にはある程度有効だとは思うが、そのモノサシはどの文化にそしてどの社会的グループに属しているかでまったく変わってくるものである。人々がモノサシを作り、それでリスクを理解するのは良いが、そのモノサシが一人歩きしないかどうか、今の我々の社会が醸成しきっていない状況の中で、それが心配でもある。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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