渡部 忠世 著 『百年の食』:食べる、働く、命をつなぐ.2006年.小学館.

碩学の農学者が、『不耕貪食』(自らは耕すことなく、もっぱら食を貪ぼる者)を恥じ、食と農について物申そうとした本。

『私たち消費者がまったく安全な食品を求めようとすることは、今日の社会・経済的な状況のもとで現実的に可能なのだろうかという、基本的な疑問について考えてみようと思う。結論を先にいってしまうと、これに対する私の答えはノーに近い。少なくともそのような期待を過剰にもつことは間違っている。本当に安全な食料・食品をというのならば、自分の納得する方法で作物や家畜を育て、それを食べる以外に方法はないと基本的には信じているからである』(p55)。

『農業の役割、その存在理由が問われなければならないような社会・国家とはどういうところなのか、また時代とはどういう場面なのか。気がつくのは、そこがほとんど無秩序に近く、病的にといい換えてもよいが、工業の肥大化している「富裕な」社会と時代、一見するかぎりでは、飢餓とも食料不足とも無縁な人々の生きる社会と時代の特徴的現象ではないかと思われることである』(p165)。

食に関心に関心があれども土を耕す文化から遠くはなれて暮らし、飽食の時代にあって農業の多面的役割を叫ばなければいけない状況を鋭く批判している。著者は老いていく自分そして死を見つめながら、老病に逆らわず暮らしていける思想をも内包している小農的農業に羨望を向けている。老いと死から見つめる農のあり方という視点は、なかなか興味深い。また本書は松井浄蓮の「浄蓮のことば」を採録している(p93-146)。農耕から発意する思想的な彼の文章は一読の価値あり。

ただ、せめて米を自給せよ、と叫ぶ筆者に違和感がある。食糧自給率の問題になってしまえば、結局は工業的な大量生産・モノカルチャー農業の是にもつながってしまうのである。農耕の文化やそのあり方、生活までを含んだ農の営みには、本書ではほとんど触れてはいない。農の何を見つめているのか、その視点が定まっていない。本書はどこかちぐはぐな印象を受ける。
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読んでないけど

読んでないけど、
コメントします。
「せめて米を自給せよ」が、
「食糧自給率の問題」になってしまい、
かつ、
「工業的な大量生産・モノカルチャー農業の是」に成ってしまうのならば、
それは、読み手の責任でしょう。

私の場合、
「せめて米を自給せよ」→
「わたしの、我が家の、我が地域の、私の知人の食糧自給率の問題」→「米以外の文化や生活までを含んだ様々な自給力の向上」
→「モノカルチャー農業の否定」と成ります。

てっとり早く言うと、
小農主義で、
「米の自給」は「水田の維持」で、
「水田の維持」は
文化や生活までを含んだ我が家と我が村の維持だと
考えています。

ではでは
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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