昨日、7月2日は半夏生。
ラジオなどでは盛んに
『昔から焼き鯖を食べて、農作業の疲れを癒した日』
などと言っていた。
江戸時代の福井大野藩城主が、農民の夏バテ防止のために
この時期に焼き鯖を食べるように奨励した、というのが始まりらしい
とラジオでは言う。
そこで半夏生について、年寄りに聞いてみることにした。

梅雨の時期で、そろそろ田植えも終わるこの時期、うちの村でも
昔から(少なくともインタビューをした年寄りの子どもの頃から)
半夏生の日は、野止め(農作業を休む)をしたという。
うちの祖母は、
『半夏生は、野止めをして、うちで安倍川餅を作って、近所や縁者に配って歩いた』という。
『まるで祭りやったんやざ』とも。
祭りといっても、神輿がでたり、山車がでたり、出店が出るわけではない。
普段ではぜったいしない野止めをして、家で餅をつくり、それを配り歩くという、非日常的なありようを『祭り』といっているようであった。

どの年寄りも、野止めをして安倍川餅を作った、と答えるのだが、
現在、半夏生でも皆、普通に仕事をしている。
しかも、安倍川餅も食べない。
それどころか、半夏生だ、といって近くのスーパーなどで大安売りする
焼き鯖を皆で食べている。
いつ頃からすりかわってしまったのだろうか。

何人の年寄りに聞いても、それは定かではない。
最近までどうやらやっていたようでもある。
僕の記憶を遡ってみると、小学生の頃までは、
よく大量の安倍川餅を食べた記憶がある。
うちの村では、安倍川餅を作るのは半夏生の時だけ。
とすると、大量の安倍川餅にありつけるのは半夏生だけらしい。
父や母、近所の叔母ちゃんの記憶をたどっても、
どうやら20年前までは半夏生の日をしていたようである。
当時の僕としては、野止めをしていても小学校という
むらとはまったく別のカレンダーで動いている中で
育っているため、どうやら記憶にうすいようだ。
野止めの習慣は、やはりむら以外のカレンダーでは、
半夏生は休みではないので
徐々に失われたようである。

このあたりで半夏生に鯖を食べるようになったのは、
ずっと以前かららしい。
ただ、それでもむらの中では、安倍川餅の方が主流だったようだ。
それが焼き鯖だけが残り、安倍川餅は消えた。
その理由は定かではないが、
すくなくともスーパーなどの小売店では、
半夏生の日は鯖を安売りしているが、安倍川餅を安売りしていることは無い。
またラジオ(テレビも)でも大野藩の風習を連呼して
あたかも伝統的行事への回帰を装っているが、
それも焼き鯖定着に一役買っているのかもしれない。

風習は、人の手で受け継がれていくものなので、
それはどんどん変化し、新しい意味付けが行われていくものである。
なので、安倍川餅から鯖に変わったとしても、
なんの不思議もないのだが、その変わり様が少し気になる。
一見、伝統への回帰をみせているようなものでも、
その中に近代性を感じることもある。

そういうものに出来るだけ眼差しを向けてゆきたい。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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