内山 節 著 『子どもたちの時間』:山村から教育をみる.1996年.岩波書店.

子どもたちをとりまく現代の精神の習慣(常識と考えられていること)を解き明かし、近代化していく中で我々が失いつつあるものを明らかにした本。

本書では、子供たちが共有している現代世界の精神状況を明らかにしている。そしてそれは、子どもたちに特有の精神状況ではなく、『大人の世界がかかえている人間の問題を模倣するように、子どもたちもまた存在している』(p64)という視点から、我々現代人が置かれている精神状況について考察をしている。

現代の精神の習慣として、『人生の経営化』というのがあると内山は指摘する。そして自身がたてた経営計画にそって、現代人は『準備をすることに人生の価値をみいだすようになった』(p75)(進学のための準備、就職のための準備、老後のための準備etc)。しかし、現代社会では、前近代的な継承によりその地域でしか成り立たない労働や知識を否定的な意味に変えてしまい、常に新しい何かを求めていかなければ、時代遅れになるという恐怖感も抱いている。このような精神の習慣の中では、『人生経営もまたつねに古くなり、つねに再確立されつづけなければならず、自分の人生経営が古くなっているのではないかという不安が、人々を襲いつづけ(中略)、より新しい人生経営のあり方とは何かを知ろうとして、虚しく情報を集めること』(p78)になると指摘する。

ではこのような精神の習慣をつくりあげたものは何なのか。内山はそれを『時間』『価値中立の教育』『個』などをキーワードに解き明かしていく。

伝統的な時間社会では、時間は永遠に循環をとげていて、時間そのものを価値として捉えることはなかった。このような社会では、時間で価値評価されるのではなく、その人のおこなった行為や仕事が価値の評価基準になっていた。そのため、労働はタダという感覚でしかなく、そのかわり、労働によってつくられた農産物には価値があると思われてきた(p126)。しかしそれらは近代化の過程で大きく価値観を変えていく。現代は時間価値の社会なのである。『労働の価値も、労働時間量によって測定されるようになってきましたし、教育=学校のなかでは、時間を価値基準にしたシステムができあがっています(例:常に時間制限のあるテスト)』(p142)と内山はいう。時計に示された客観的な時間秩序を受け入れたため、その時間に合理性を取り入れることができ、その時間を『有効』に分配=消費することが可能になった(人生経営における準備も、何かを達成するために分配=消費されている時間にすぎない)。

さて、そのような価値基準の中では(人間の持ち時間をいかに有効に時間配分していくか、それが賢い人生のあり方に変わっていった)、必然的に個人主義の意識を高めていった、と内山は指摘する。『なぜなら、ここで課題になっている時間配分とは、自分個人の時間配分の問題でしかありえないから』と説く。我々は誰しも、社会の中で有意義な人間、必要な人間、として存在したいという欲求がある。しかしそれは、個として有意義な人間ではありえない。そもそも人というものは、他者との関係(自然も含む:関係の手段として労働がある)の総体であって、個人そのもので成立しうるものではない。こうした動かしがたい前提と、時間観念や労働観念の大きな変動で生まれてきた精神の習慣の狭間で、現代人の苦悩が生まれることになる。そして、その我々大人を模写するように生きている『小さな大人』である子供たちもまた、それらの価値観の中でもがき苦しむのである。

内山は、我々の精神の習慣を作り上げた存在として、学校教育にも言及している。内山は、学校教育で教えているものは、価値中立的だと考えられている知識であると指摘する。『価値中立的とは、そのなかに価値判断が入っていないこと、あるいは価値判断の相違によって内容が変わることがないこと』(p167)である(数学の公式は、価値観の違いによって変化するものではない)。内山は、価値中立的な知識を学問として教えられていることに問題を感じている。『価値中立的とは、別の表現をとれば、いかなる関係からも独立していることを意味しています。つまり、どのような関係を持ったとしても変わることがなく、どのような立場からも利用できるということです。すなわち、あらゆる関係から独立した、客観的独立性をもっているものが学問であることを、生徒たちは学校教育をとおして教わるのです』(p169)。この学問を有効とする教育の過程で、客観的な普遍性をもっていないその土地その土地で受け継がれてきた一番狭い地域性と結びついた知識は、「最下位」のものとしてみなされていく。地域性と結びついてしか成り立たない学問や、継承という価値意識を結合しなければ意味をなさない学問を、「程度の低い」学問とみなす習慣を生み出していく(p172)と批判する。現在において、再び地域的なものに注目を集めるようになってきているが、内山はそれが学校で教えられている価値中立的な学問と同等としては扱われず、それ自体付属的に語られていることをも批判している。

こうして、時間価値や労働価値から個として存在することを精神の習慣として持ち、価値中立的な学問の訓練を経て、人生の経営を余儀なくされているのが現代人だと言えよう。他者との総体としての存在であるという前提と、社会の中で有意義な存在でありたいという欲求、それらとのギャップは、これらの価値では埋めることが出来ず、つねに不安感を生み出す。我々は、まったくの個として自由に存在するわけではないのに、何かと結びついてできあがっているものを前近代的なものとして、それを分断させて、社会を作り上げてきてしまっているのである。

平易な文章で、我々の精神の習慣を明示してくれる良書。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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