内山 節 著 『時間についての十二章』:哲学における時間の問題.1993年.岩波書店.

『里という思想』に出会ってからここ最近、立て続けに内山節を読んできた。が、これまでの著書は散文的に書かれており、いまいち彼の思想が解らないでいる(散文的に書くのは多分意図的だろうけど)。たぶんに、自分の読解能力の無さが問題だとは思うが。

そこでこの本。タイトルにもあるが、まさに時間について考察を入れた本。
著者は、近代を労働や価値から捉えようとしているのだと思うが、その流れで時間についてじっくりと考察したのが、この著書だと思う。

留学中、少々現象学に触れる機会があり、そこでは時間をその人その人の意識としてとらえている。が、著者は時間意識としてとらえるのではなく、『時間を主体との関係によって変容する存在』と捉えている。全体にわたって、この時間に対する考えを解説しているのだが、この部分が解らなければ、たぶん、著者の見ている地平を一緒に見ることはできないと思う。ちなみに僕は、なんとな~く解った気になった気がするかなぁ、だめかなぁ、といった程度の理解。

この著書が優れているのは、なぜ時間の考察が必要なのか、という部分をはっきりと明示してくれたこと。近代をどうとらえられるのかという議論の中で、これまで読んだ他の著者の本では、合理性などを通して理解されてきたが、その根っこの部分では、時間は普遍なもので、独立して存在しており、その刻まれる過程に変容がないことを指している。だから基準となる時間が短縮されることで、合理化がなされるという理解にもつながる。また現象学では時間をその主体がどう意識しているかということを問題として取り上げているが、それもまた、時間が時間として存在していて対象化できるものという考えが根っこにはある。はたしてそうだろうか。

著者は群馬の山村での生活の中から得た経験から、時間は関係の中で存在するものだという。川の時間、森との時間、森林経営の時間、山里の時間。著者は、そこに存在する2つの時間に気がつく。縦軸の時間と横軸の時間である。直線的に進んでいく(もしくは発展していく)縦軸の時間と、円環の回転運動をしている横軸の時間である。横軸の時間は季節と共に円環運動を繰り返す。去年と同じ春が戻ってくれば、山里の人々は、回帰してきた春と共に1年前と同じ世界に回帰する。

筆者は、この横軸の時間がうすれ、縦軸の時間が大勢をしめるようになったことを近代と捉えている。戻ることの出来ない縦軸の時間の中では、時間はかけがえの無い価値を持つものに変わる。そして時間価値の合理性が生まれてくる。労働が時間で計られるようになり、労働が経済的価値を生むことになる。その価値の中では、小規模な森林経営も山間地(小規模)の農業も意味の無いものに変わっていってしまう。

労働と貨幣、そして商品の持つ価値を時間の視点から解いた良書。読みこなすのにはずいぶんと苦労したが、それでも読まれたい。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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