守田 志郎 著 『日本の村』.1978年.朝日選書.

本書は1973年に刊行された『小さい部落』を改題、朝日選書として再刊されたもの。
日本の部落とは何か。それをある部落内の土地取引の事例をみながら、守田志郎独自の視点から、部落を紐解いていく。事例の田んぼの取引では、本家・分家の関係が影響し、部落内の総家同士の勢力争いが加わり、隣村までも巻き込んでいく。しかし不思議と土地は、所有者が変われども、村の中に残る。そしてそれらの争いは、部落の表面を少しばかり波立てはするが、すべてがひっくり返りはしない。守田はこの事例を丁寧に見ていくことで、部落の人々がもつ所有意識や人々の関係に迫ろうと試みる。

守田は部落の人々の所有意識には、私的所有と対立して共同的所有があるのではない、と考える。土地のやり取りの仕方や、部落の人々が『部落の田んぼ』や『一族の田んぼ』と表現する中には、土地を共同所有しているということではない。個人が持つ土地の私的所有観をゆるやかに覆う共同的所有の意識があるのである。そのゆるやかに覆う共同的所有意識は、内山節がいう『総有』の思想ともつながる部分である。

では、部落にはなぜそのような共有的所有の意識があるのであろうか。また土地取引の事例のように、なるべく波をたてないような行動をとるのであろうか。部落の人々の思想構造をまちの人々と対比させて、守田はこう表現する。少し長いが引用しよう。
『部落というものが波をおもてに立てないようになっているのは、その慎み深さからでもあろうが、人々が、今日も明日も、そして将来ずっとその部落のなかで同じ顔ぶれで生産と生活を続けていくようになっているからなのだと思う。江戸っ子のきっぷの良さなどというが、いつでも荷物をたたんで長屋から出ていくという生活の軽さがそうさせるのであろう。そしてそこには生産がないということも裏腹なのだと思う。』
部落の中に生産があるからこそ、同じ顔ぶれで生活をずっと続けていく。そしてその過程の中で、土地が時には増え(貸した金の担保。意欲。)、時には減っていく(分家をだす。弟・妹の無心等)。このやり取りのプロセスの中から、ゆるやかな共同的意識が生まれてくる。部落が部落として存在するところでは、土地の売買情報が、不動産屋の情報誌に載ることなどないのだ。よほどの偏屈もの以外はそうしようとは考えない。

本書は70年代に書かれている。しかし本書の内容は、今の僕の部落でも簡単に見つけられる事柄ばかりである。部落の人々がもつ思想構造を平易な文章で説いた良書。生活の中に生産があるという状況が、如何に部落の人々の思想を作り上げているかを知る格好の書である。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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