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数日前の農業新聞に
こういう記事があった。

「農の語り」薄っぺらになった 紡いだ価値見失うな 百姓・思想家 宇根豊

たぶん、10年前の僕なら
そんなに反論はなかっただろう。
それどころか
これに賛同もしていただろう。
内山節も守田志郎も
この農業のあるある種のノスタルジィ的な
詩的な部分に焦点を当てることも多かったし
僕もそれはそれで農業や農村での暮らしの楽しみだと
今も思っている。
そういう風に風景を見ること自体、
僕ら農業者の多くが共感を覚えるだろう。
だが、薄っぺらくしているのは
宇根さん、あなた自身ではないかと思う。
内山も守田も
ただ単なるノスタルジィな視点に収斂はせず
そこに介する人々の目線に寄り添うものだった。

以前のエントリーで僕はこういうのを書いた。

内山節と再会する(2012.8.5)

そこで僕が書きたかったのは
宇根さんも含めて批判している
さまざまな反近代の視点の薄っぺらさだ。

それらの中に潜みこんでいるのは
自然回帰主義であって
僕らの今の現状を何も救い出してくれない。
たしかにそれらの視点は
僕らの現場での自然との交感に対して
ある一定の視点を与えてはくれるが
その視点が正当化されることで
とても窮屈な固定化された見方にしかならない。
あなた達が農業の近代化を批判するが
現場では何が起きているのか知っているのだろうか?

問題は、相対化していくことではなく
主観的に、また間主観的に
それらと対峙している我々を見つめる視点こそ
本当に必要なのではないかと思う。
そしてそれは
もちろん自然科学の中で解明されることもあるだろうが
文学的にも表現できるものだとも思う。

宇根さん、必要なのは文学なんです。
反近代的な文学でも良いんです。
そこにリアリティがあればだけど。
その視点のリアリティに僕らは感動するのです。

僕が俳句に走ったのは
たぶん何かを表現し、その感じた何かを
何かで形作らないといけないという想いが
飽和したからだと思う。
宇根さんの持論は
ここ何年も変化しないですね。
あなたはまだ飽和していないのでしょうか?

それが文学でも良いし
絵画でも良いし
映像でも良い。
薄っぺらい批判を新聞のトップに載せるような
はずかしいことはもう止めてほしいと思う。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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