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今年、11期生の技能実習生を
2名とろうと決めたのは、
彼らが3年生になるころに
現在派遣しているスタッフの立崎が
農園に戻ってくるからだった。

実は5期生も2名とったことがあった。
少しでも卒業生を増やし
インドネシアの農業・農村のリーダーにと
思ってのことだったが
経費が嵩んでしまうことと
人数が増える分、卒業研究などの
重要な研究の指導しきれないことがあり
6期生からはやはり1名ずつとなった。

それが立崎が戻れば
それだけインドネシア語で指導できる人材が増え
研修や勉強だけでなく、日常の作業でも
上手く回っていくのではないかという
期待があり、
11期生から2名と決めた。

また、これは人材確保の視点から
研修が終了して、彼らが農村に戻った時に
リーダーとなる優秀な人材が欲しかった。
で、これまでの提携先のタンジュンサリ農業高校で
生徒会長や成績優秀者だった生徒で
農園に実習生で来なかった人たちは
どこでどうしているのか少し調べてみた。

すると、そのうちの数名は
技能実習生として日本に来ていたことが分かった。
ただ農園は社会人経験を重視し、
21歳以上でしか受け入れないため、
そういった生徒たちは卒業と同時に
実習生として日本に来ていた。
また台湾や韓国に行くケースも散見され
優秀な人材確保の意味では
うちはすこし出遅れ感があった。

ただ19歳で受け入れると帰国しても年齢は21歳。
はたしてその年で地域リーダーとして
腰を据えて地元で活動ができるのだろうか?という
不安がある。
結婚にも早いし、身の丈に合っていない預金を
自分の進む道を定めて、うまく使いこなせるのかどうか。
その葛藤はあった。
だが、やはり優秀な人材を先にとられてしまっては
せっかくの地域リーダーになる素質のある人間を
失ってしまうことにもなりかねない。
そこで11期生からは
社会人枠(21歳以上)と新卒枠(19歳)の2つを用意して
実際にやりながら経過を見ていくことにした。

ちなみに
現役の実習生たちにも、この新卒枠については
相談したが意見は賛成と反対どちらもあった。
賛成の意見では、
農園たやで研修を目的にしていても
一旦就職しなければならず
その仕事が中途半端になるということだった。
実際に8期生のイマンと9期生のデデはそんな感じだったらしい。
反対の意見としては
19歳では異国の環境での仕事に耐えられないのではないか
というものだった。
始めて社会に出て仕事をするのが日本では
やはりかなりきつい、という意見。
ま、この辺りは日本の青年海外協力隊の新卒と社会人経験の
議論に似てはいるかな。
協力隊を新卒で参加してインドネシアに迷惑をかけた自分としては
たしかに新卒の何もわからない若者では
仕事にならないかもしれないが
経験としては決して悪くはない。
ということで、新卒枠を11期生から設けた。

その19歳枠で来たのがフィルマンだった。
印象は「可愛らしい」の一言。
19歳なんてそんなものか。
控えめであまり自分を出す感じでもない。
成績は一応優秀だったらしい。
なんせ急に決めた新卒枠だったので
タンジュンサリ農業高校でも若干選考に混乱があったらしい。
制度変更の場合は、次回からはもっと早くに連絡するようにと
めずらしく通達を受けた。
あらら、ごめんなさい。

さて、その彼について
このカテゴリでも大いに筆を振るって書いていこうと思うのだが
まずはこれついて記録しよう。
彼が来たのは大雪が少しおさまった2月21日。
前回紹介したアンギ(社会人枠)と一緒に来日した。
アンギに比べたらおとなしく、あまり言葉を発しない。
すこし咳をしていて、弱弱しいイメージだった。

その彼、
来日時に受けた健康診断で
再検査に引っかかってしまった。
それも生活習慣関連というよりは
肺に影があるので至急とのすこし怖い引っかかり方だった。
慌てて再検査にいくと診断は
「結核」とのことで
翌週の頭にすぐに隔離病棟に収監されてしまった。
それからは農園でも大混乱だった。
接触者全員が検査を受けることになり
また人手が1名足りないまま
大量発注の来るGWを迎えることに。

フィルマンも言葉は出来ないのに隔離病棟で
しかも来日直後で携帯電話も契約していないし
Wifiも使えない状況で家族とも外部とも一切連絡が取れない状況に
放り込まれてしまった。
19歳で初めての社会人経験で
始めての日本で
そして初めての隔離病棟。
どれほど不安だったろうか。
面会時間に制限があったため
僕も週に1回程度しか面会に行けなかったが
行く度に弱気になっているフィルマンが痛々しかった。

ただ、結核という特殊な
それでいて結構日常にあふれている
病気について、
ただただ怖がるだけでなく、
知識を深めていく中で僕らは
あることに気が付いた。

フィルマン、お前ラッキーだったなって。

彼が結核にかかったのは
正確には分からないが
高校2年生の時にかなり仲の良かった子が
結核にかかり一時薬を飲んでいたらしい。
結核菌が肺に入ると7割の人は一生発症しない。
2割は数年~数十年が経ってから発症する。
そして1割が入ってすぐに発症する。
フィルマンはたぶんこの数年~数十年の
2割の部類だったのだろう。
話を聞くとインドネシアでも少しが咳が出てたらしいし
僕が空港で迎えに行った時も
やたらと咳の出る子だなぁ、という印象だった。
だから途中のSAに何度も寄って、
水分不足なのかと思ってジュースを買い与えたんだもの。

で、その彼は入国直後の会社の検診で
結核と分かり
今、治療を続けている。
現在はすでに隔離病棟から出て
普通に生活をしているが服薬はこのあと半年以上続く模様だ。
ただもう排菌といって外に菌をばらまいていないので
彼に普通に接触しても大丈夫なのであしからず。

もし彼が今回の選考で日本に来ることが無ければ、
と僕らはよく想像した。
フィルマンが言うには、
インドネシアの自分の村ではあまり医者に行かないという。
だから、最近咳が多いなぁ~と言いつつ
良くても風邪薬を飲む程度だったろう。
そのうち咳がひどくなり
いつし喀血もしていたかもしれない。
その時に慌てて医者に行っていても
もしかしたら間に合わなかったかもしれない、と。
そう思えば、
ここに来ることになった経緯も
僕らが新卒枠を作ったことも
なんだかすべてが君に生きろと言っているように
感じられる。
「だから僕は一所懸命勉強します」
隔離病棟から出た彼はそう言っていた。

うん、君は生きろということなんだろうから
その分も頑張りなよ。




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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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