このエントリーをデデのカテゴリで
書くのが妥当かどうか、
ちょっと迷うところではあるが
ま、今、デデともこういう話をしているので
それはそれで良いだろう。

有機農業と聞いて
皆さんはどんなことをイメージするだろうか?
環境に優しい?
自然的でよい?
健康的?
これを推進する法律もあるしね。
概ね、良いイメージなんだろうと思う。
正義は有機農業にあり!と声高な
青年にたまに出会うのも
無理はないか。

僕も若いころは斜に構えつつも
有機農業自体を
真正面から否定することは出来ず
それよりも
どこかで大いに賛美する自分が
いたことも事実だった。
工業的な農業の
エンカウンターとして
現代のエネルギー問題や
環境問題の解決策として
キューバの事例などを
まるで見てきたように語っていたこともある。
1期生のヘンドラには
土壌の持続的利用の視点から
有機農業の重要性をずいぶんと説いた気がする。
だから彼の3年生の卒業研究は
「有機肥料の有効性」だった。

ただ、その時から
僕らはある疑問にぶち当たっていた。
それは有機肥料が
どの社会的文脈でも
本当に有効なのかどうかということだった。
それはまだ
化学合成肥料や農薬が
環境を破壊するというその思想の本丸に
直接切り込む勇気がなく
というかそれだけの視点もなかったので
その周りにある事実として
可能なのかどうか
有効なのかどうか
を恐る恐る考えて調べて発言するにとどまっていた。
この「恐る恐る」の心情を
生み出しているのは
有機農業の持つ破壊力と言っても良いだろう。
なんせ、有機農業には正義が
あるって叫ぶ人たちもいるんだから。

ヘンドラと有機肥料の
有効性について調べていた時には
気が付かなかったのだが
来る子がみんな有機農業をしたいと言うので
(デデもその一人だった)
いろいろとシュミレーションしてみた結果
今は、僕たちはそれほどそれを
重要視していない。
来る子たちが皆有機農業と口をそろえるのも
その農法に対する情報を
自分たちなりに解釈して
ある意味神話化しているところから来ている。
だから実際に
みんなでそれが可能かどうかを
絵にかいてみると、つまり事実に即して
シュミレーションしてみると
あまりそぐわない結果になることが多かった。

たとえば
有機肥料はどうしてもボリュームが
化学合成肥料よりも多い。
堆肥の指南本には、
反当り数トンは入れましょうって書いてあったりもする。
それだけの有機物を集めるのも
車両の無い農家がほとんどだと難しいし、
しかもそれを運ぶ農道もない。
畑には畦道を行かねばらなず
農業資材だけでなく
農産物を畑から運び出すのも
一苦労するのだ。
よしんば、なんとか有機肥料を運んで
それを畑に投入したとしても
今度はそれだけの苦労の対価を
市場が評価しないということだ。
多くの農家は収穫後の調整作業をしない。
この作業がないので、農産物の価格に
グレードもなければ、インセンティブもない。
なぜなら、収穫物はそのまま
ブローカーに販売してしまうからだ。
収穫すらせず、青田買いよろしく
ブローカーに販売することも珍しくない。
ブローカーが連れてきた収穫人が
その収穫物を収穫して持って行く。
それが事実だ。
なぜなら農家には車が無い。
人手を雇って大通りまで収穫物を
運んだとしても、
結局車で買い付けに来るブローカーに
販売するんだから
初めから青田ごと売ってしまう方が
合理的な選択となる場合もある。
で、
そのブローカーは
他の人の収穫物と一緒に運搬し
自分の作業場で調整し
それぞれの品質に農産物を分け
市場や加工場などに
損が出ないように売り切って利ざやを稼ぐってわけ。
このシステムのどこにも
有機農産物を評価する市場はない。

もちろん、インドネシアの農業雑誌などでも
有機農業特集はけっこうやっている。
それが欲しいという声も
あるのも事実だ。
だが、分散しているその声の主に
農産物を届ける手立てが少なすぎる。
日本のような宅配便はなく、
自らで運び、販路を開拓するしかない。
ま、これは今、3年生のイマンが
公務員対象に個別産直の計画を立てているので
それが上手くいけば、
ビジネスチャンスとなるけどね。
ただそれにもいろいろと問題はあるのだが
それはイマンのカテゴリーで説明することにして
ここでは割愛しよう。

ある農法もしくはある品目の栽培を
進めようという場合、
その利点を強く説明する場合が多い。
だが、そこには実際の農家である彼ら彼女らの
リアリティが含まれていない場合が多々ある。
緑の革命だろうが
SRIだろうが
有機農業だろうが
それらはその文脈で行われている限り
やはり破壊力を持って
農家に襲い掛かっている事には
違いない。
それに無批判でいられてしまうのも
ある農法を信じてやまないその人の
エゴなのである。

といっても気がつかない人も
いるかもしれない。
有機農業は
環境保全だという人もいるだろうか。
自然に手を加え
なんとか飼いならしながら
自分たちに都合の良い物だけを提供してくれるように
することが僕らの理想の環境だ。
不都合な真実でもあったが
僕らの日々の暮らしのスタイルこそが
環境を大きく損ねている。
松永和紀氏の指摘にもあるように
直売所へ小農が出荷するスタイルと
海外から輸入して販売するのとでは
CO2排出量は直売所の方が多くなるのだ。
大きな産業の工場や大規模農業だけが
環境を壊すのではない。
僕らの人口圧が、
一人一人の行動が積み重なって壊れていく。
すべての農業が有機農業に代われば、
などという青い夢はもう見ない。
それよりも低投入の効率性の高い農業の方が
環境負荷は少ないだろう。
それを科学的に判断しようとすると
その対抗として
切り取り方の問題だという風に
瑣末な議論に入り込むのは
生産的じゃない。
この議論こそが
すでに農家たちの
そこに暮らす人々のリアリティから
離れてしまっていることに
気が付くべきだ。

そう、破壊力はなぜ生まれるのか。
それは、自分の信じるものだけを見て
それを推し進めようとする場の
人々のリアリティを
低俗・野蛮・未開という
無意識に見下している偏見という視点から
生まれてくるのである。

デデは
2年に入り、有機農業の勉強をしたいと言い出した。
化学肥料は土壌を破壊するというのだ。
その事例はいったい彼のどこにあるのだろう。
そこで時間を少しかけて、
実際に破壊された土壌を現地の友人に探してもらった。
現地では化学肥料しか使っていないので
すぐに見つかるはずだった。
30年も化学肥料しか使っていない農地が
ここそこにあったからだ。
しかし
実際に探してみると、
化学肥料に破壊された畑はどこにもなかった。
やや肥沃度に欠ける畑もあったが
それはどちらかといえば、というか
それが答えだと思うけど
斜面の畑を耕起しすぎて
表土が流れてしまった畑だった。
4か月ほどかけて
彼は地元の農家や友人に依頼して
化学肥料で壊された農地を探したが
見つけられなかったのだ。
たぶん、この世界のどこかでは
化学肥料の不適切な使用により
塩類集積してしまった畑もあるんだろう。
だが、それほど投入する財力もなく
また大量投入するほどの機械力もない
少なくともインドネシアのデデの村では
化学肥料による不毛の大地は
妄想でしかなかった。
それを知った上で
デデは今、肥料について勉強を始めた。
化学肥料の投入と収量の関係で
最善となる投入量と
それを支える土壌の腐植との関係も
理性的に学ぶことが可能になり始めている。
事実を確認し
その事実から出発し
偏見から解放され
自分たちに必要な情報を
自分たちで集め始める。
そこから生まれてくる
自分たちの手の中にある農法。
それが彼ら彼女ら、そして僕にもだが
必要な農業のカタチだと
今は強く思っている。




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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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