これなら記録できるか。
先月末に、中二日でインドネシアに出張した。
ま、その目的は置いといて。
その時に
ついでなので2月に帰ったジャジャンの畑を
見学してきた。

話には聞いていたが、ジャジャンの村は、
街から近い割に山に分け入っていくところにあり
それより先に人の住む場所がないだけあって
急激に街から田舎へとグラデーションしていく、
そんな風景だった。

彼の畑は
まさに山の頂上にあった。
その場所に行くにしても
ちょっとした登山さながら。
随行したメンバーでも
タンジュンサリ農業高校の先生たちは
途中で脱落するほどである。
研修卒業生たちは
まったく苦にもしない感じだったので
僕も「農民」を冠にいただいている人間として
意地でついていった次第である。

さて、その畑。
トウガラシが2000本ほど植わっていた。
収穫はまだだが、順調な生育で
良く手が入っている畑だけあって
とてもきれいだった。
人の所作が素晴らしい風景を生む。
そんな代表的な畑だった。

そのトウガラシだが
車両で運び出せるわけではなく
僕らが登ってきた登山道を担いで降りるという
偉業ぶり。
もうそれだけで脱帽だし
僕は絶対インドネシアで農民としては
生きていけないな、なんて思ったりもした。

ジャジャンと言えば
過去のエントリーを見てもらえればわかると思うが
帰国後はソシンというアブラナ科の葉菜を
周年出荷することに情熱を燃やしていた。
だが帰ってみれば、
誰もが作るトウガラシ栽培をしていた。
これはジャジャンの父親の意向である。
ジャジャンの計画は
父親には「危うい」と見えているらしく
賛同が得られないとジャジャンは言う。
そこで相場が上下して
結局この栽培だけで頭を抜け出せない
農家ばかりの仲間入りをしているってわけだ。

ジャジャンの父はまだ若い。
だからまだやりたいこともあるのだろう。
あと自分の知らないことを判断する力も
それに任せてみる勇気もないのだろう。
と書くと、やや自分に投影しすぎて
感情移入が強すぎて判断が鈍っているかな。

まぁ、そんなこんなで
ジャジャンは自分の思い描いたようには
進めていない。
また周りの親戚の声も
ジャジャンに追い風でもない。
農業は日本でもインドネシアでも逆風だ。
「日本まで行って、出稼ぎで成功して、土地を買ったのに、なぜ農業をやるというのかわからない。」
とジャジャンの叔母や祖母から聞いた。
この言葉が横にいたジャジャンの顔を固くする。
ジャジャンは確認するように
僕を意識しながら叔母と祖母に
「僕らがやろうと話していた農業は今までのような農業じゃないんです」
と語っていた。
その言葉はたぶん彼女たちには届かないよ。

技術移転や経営手法
マーケティングなんて言葉がいくら飛び交っても
やはり社会認識だな、って僕は思うよ。
これを変えるのが
僕の次の10年だと思っている。
ジャジャンの悔しさは、僕らの推進力に。
そう思って、ここからスタートを切りたい。




関連記事
Comment
Trackback













管理者にだけ表示を許可する

Comment form

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
07 ≪│2017/08│≫ 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ