ちょっと前の事だけど
記録しようか。
忙しすぎて、記録が追い付かないのは
申し訳ない。

さて
ジャジャンが帰った。
送別会は、彼が来てから演奏した
農園のバンドの映像を流した。
これを編集していて気が付いたのだけど、
農園のバンドは
ジャジャンが来る前からあったけど
彼が来ることで花開いたんだなってこと。
農園開放のBBQや大学生の合宿での交流会、
村のお祭りのステージ。
それらを沸かせたのは、
ジャジャンの歌声だった。
そのジャジャンが帰った。
たぶん、バンドはこれでお終いだろうね。
次に誰かジャジャンのような奴が来たら
またやればいいさ。

彼が何を学んだのか、と
言われると
やや自信はない。
正直、研修の内容よりも
音楽のイメージが残っていて
そちらを一所懸命やっていたようにも見えた。
事実、彼を空港まで送っていったのだけど、
彼も
「最初の1年と2年目までは、どうしてこんな勉強をさせられるのだろうかって分かりませんでした」と言っていた。
だろうね。
君の眼、授業中、死んでたもの。
伸びる子の眼ってどんなんかは
僕みたいな鈍い人間でも良くわかるんだよ。
でも3年生になってからは変わった。
彼も
「3年目にはその意味がようやく解りました」
だってさ。
僕が授業でやっていることは
技術的なことはほとんどやらない。
技術を軽視するわけじゃないけど
多様で柔軟な視点を獲得すれば
その視点で技術は切り取っていけるからだ。
こうあるべきだっていう固い頭が
その産業をダメにする。
だから授業では、
多様な視点を確保するために
自分たちの常識を壊していくような座学をするから
それを受講する研修生たちには
かなりストレスになる。
自分の常識という安全地帯が
一番批判される場所だからね。

だからジャジャンは、
1年生の終わりに
「もう帰りたい。研修は続けたくない。お金が欲しかったから来ただけだ」
と言って、僕も彼を帰国させようとしていた。
当時の3年生のクスワントが
それをどうにか止めて、
ジャジャンは研修を続けた。
ま、それでも研修の意味が解るまで
1年以上時間を費やしたって事か。

さて
ジャジャンは帰り間際に
彼の帰国後のビジネス案について
少し実現が難しいことを話してくれた。
彼自身がこっちに来てから
ここでためた費用で購入した土地があり
そこでアブラナ科の周年栽培ビジネスを予定していたが、
その土地は彼の父が他の作物に使っていて
どうも自由には使えないようなのだ。
そう、そう、そう。
家族経営ってそうなるよな。
農家の子弟として、良くわかるよ、それ。
家族のヒエラルキーが
職場でも反映されて
全く身動きが取れないってやつだね。
これについては、日本であれこれ
議論してもしょうがない。
戻ってからの話だね。

彼は帰国したけど、
それで僕らは途切れるわけじゃない。
別れは、そりゃ、ちょっとは悲しいけど、
それどころじゃないのさ。
僕にはそれ以上に帰国後から始まる
彼との係り方への準備に忙しいのだ。
だから、
しみじみお別れなんて言わなかった。
さ、ジャジャン。
ここから僕らの真価を見せる時だ。
僕は君を僕から諦めることはないから、
君がやりたいっていう所まで
僕の力が及ぶ限り
君の背中を押し続けるよ。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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