この夜のミーティングの結果は
すぐにタンジュンサリ農業高校側に伝えられた。
というのも、
以前にも書いたが
こうした活動を作ってほしいというのが
タンジュンサリ農業高校からの要望だったからだ。
ただし、それは2年も前の事だったけど。

ネットワークの中心として
学校の施設の一部を事務所として
借りられないか、というのが
僕たちの要望だった。
そして
その要望はまったく問題なく
受け入れられた。
良かった。

が、それで終わりじゃなかった。
校長先生は、
「ネットワーク作りは分かったし、勉強会やスタディツアーも大事だろう。でも、もっと踏み込んで農業ビジネスの展開が欲しい。君らなら出来るはずだ」
と、ちょっとこれまでとは
違ったトーンの話を始めた。
学校の施設を自由に使って良いから
もっと大きな農業ビジネスを実践してほしい
というのが学校側の要望として
今回新たに突きつけられたのだった。

僕が知っている校長は
とても温厚で、
こちらの要望もできる限り汲んでくれる
そんな方だった。
だがこの日は、少し違っていた。
どこか焦りのある、そんな感じだった。

「私はヘンドラが帰国して来てから、ずっとこの話をしている。学校でも農産物の生産をしているが、それは授業のためであって販売のためじゃない。でも販売もその実践としては言っているが、学校の先生は教育は得意でも作物の管理と販売まではなかなか業務が忙しくて手が回らないのが現状なんだ。だからヘンドラに、圃場の管理と販売のマネージャーになってほしいと何度も懇願したが、ヘンドラは地元にも戻るの一点張り。今回のネットワーク作りは大賛成だが、その活動だけをただ単に続けるのでは、納得はいかない。もう一つ踏み込んで、学校のハウスや畑などの施設も使って、このメンバーでマネージャーを務めて、農産物の販売に大きく踏み出してほしい。卒業生の中で大きな農家として名をはせたものもいるが、その中に君らも入ってほしい」
そんなことを校長は話した。
それも繰り返し繰り返し。
しつこいくらいに。。。
その都度、僕らは答えを濁した。
それぞれがすでに始めている
農業や仕事があるからだ。
校長のいうことも分からないでもないが
それをやるには
今、それぞれがやっている事との
同時進行は無理だった。
場は重くなり、口数も減っていく。
そして校長と先生たちだけが
何度も何度もビジネスをしろ、と
口説き続けていた。
とても不思議な光景だった。
インドネシアは変わった。
目の前で展開されている光景は
僕の知っているインドネシアじゃない。

ここからはただの推測だ。
ここまで焦る校長には
何かのプレッシャーがあるんだろうって
僕らは見ている。
一般普通科高校と職業系高校の比率が
以前は断トツで普通科高校だったのだが
職業系高校がどんどん増えている。
そして校長も話してくれたが
予算も以前とは全く違い、潤沢に使用できるのだとか。
そのためか、ここ数年は
タンジュンサリ農業高校では新しい施設や校舎が
次から次へと建てられていく。
経済成長の恩恵かと思っていたけど
それ以上に職業系高校への予算が
ずいぶんと増えているからだった。
農業分野もずいぶんと見直されているようで
成長分野としての農業という捉えられ方もしていて
統計を見ても
主産業に占める割合も少し戻している。
そして、
西ジャワ州で一番という評判を持っている
タンジュンサリ農業高校。
外国との交流も盛んで
国家事業を通じて
オーストラリア・タイにも生徒を派遣している。
さらに独自路線で
福井農林高校との交流、
農園たやへの農業研修派遣、と
他の農業高校から見たら異次元の活躍だ。
だからここ数年、
インドネシア農水省や教育省から
福井の田舎まで視察に来ていたってわけか。
これらは学校の高評価につながる。
僕もそれを意識してやって来たし、
交流事業でもその場を作ってきた。
たぶんそれが功を奏してきたんだろう。
だからその次の成果を求められているのかもしれない。
そんだけやっているんだから
そこを卒業した研修卒業生の成果は?ってことか。
先生は、
「もうすぐ我々は定年だ。ここ数年で成果を見せてほしい」と
最後にその本音も見られた。

その反面、
卒業生たちの反応は悪かった。
後でみんなと話をしたのだが、
やはり学校と一緒にビジネスは難しいという。
校長が仕切る可能性も高いし、
小間使いにされるんじゃないか、という懸念もある。
あと教育機関の考え方じゃ
ビジネスにならん、というのもメンバーの意見だった。
さもありなん、だね。

ヘンドラが
「地域を盛り上げるために僕らは勉強した。だから地元に戻って、そこを盛り上げる。それが僕の役目だ。今さら学校には戻れない」
と言い切った。
それは
僕が彼に何度もたたき込んだ思想だった。
ボゴール農科大の留学を終え
当初の野望だった、
世界で勝負することから、
僕はあえて地域づくりとして地元を選んだ。
僕は地元に戻るときに
自分の想いを強い思想に変えて
その塊として戻った。
その一番熱い時に来たのが
一期生のヘンドラだった。
だからヘンドラを見ると
あの時の自分に会っているような気がする時がある。
この時もそうだった。
僕は、なんだか申し訳なくてしょうがなかった。
ヘンドラがそういえばいうほど
自分が小さくなってしまったような
そんな気がした。

そんな中で
先生と卒業生のやり取りは続いた。
早すぎて理解がついていかないインドネシア語と
思いもしなかった展開と
その場面に呑まれてファシリテートも
気の利いた提案も
棚上げにするような言葉も出てこない、
それどころか
目の前の光景がなんだかスクリーンに映し出されている
別世界のような感覚と
旅の疲れから来る睡魔に襲われ、
僕は置物のようにそこに座っているだけだった。
こんな僕に
一体何が出来るのだろうか?

そろそろが潮時かな。
僕のできることや
僕が居ても良い場所も
もうそれほどなく、
僕の価値もここではあまりなくなっているんだ。
なぜだか
それがさみしいのではなく、
反対に
それがとても心地よかった。

おしまい




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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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