地域を考えるにあたって、
エリアや組織、そして係る人たちの
それぞれの認知と発揮される行為能力を
つらつらと書いたが、
どういう状況になれば地域は再生・発展したと言えるのか
その議論はしていなかった。

まったく個人的な意見だが
経済的な発展というよりも
最終的にはその地域が人で
あふれかえっているような状況ではないかと思う。
それらの人は歳月と共に高齢化するが
若い世代が次々に生まれ、そして地域に残り
もしくは入り込んできて
その活気や自治力は再生産される。
そんな状況が維持、それどころか発展していくような
状況がやはり理想だ。
だから特定の年代がたくさんいるような
そんなイメージではなく、
すべての年代が集う場所でなければならない。

これまで僕の農村を見て回った経験値は少ないのだが、
日本を含め東南アジアの農村を僕なりに見てきた。
その中で、東南アジアの
いわゆる貧しいとされる農村部は
どこもお金はなく、貧しく、生活に困っている方も多かったが
日々の暮らしやその場には
僕らの農村には無い活気があったことが
僕には衝撃的だった。

青年海外協力隊の時に過ごした
南スラウェシのバルー県の山村では、
若手の働き手も多く、村の人口も高齢者に偏っていなかった。
山村で経済的には街よりも確実に厳しい状況で、
さらに行政からもあまり重要視されず、
行政サービスが
行き届かないのが常態化していた。
しかし、それと反比例するように
村の日々の暮しには活気があった。
村人たちが必要最低限の自治力を維持し、
用水や農地維持や道の修復なども担っていた。
個人の家に洗濯機なんて無いから
川の洗濯場はいつも女性たちのおしゃべりであふれていた。
農業機械は無いから、
作業はいつも助け合い。
結なんて言葉は、日本では死語だが
その村では空気よりも存在があたりまえだった。
家の建前も村人総出で、
結婚式は村人みんなが参加して、
3日3晩つづくのが当たり前。
近くの小学校が終わると
棚田を赤い制服を着た子供たちが
クモの子を散らすように広がり
道草をしながら泥んこになって家に帰っていく。
夕方には、テラスや道のわきにある竹のベンチに
みんなが集い
若者はギターを弾き謳う。
甘いコーヒーとそれに集るハエと
賭けドミノに奇声を上げる親父たち。
常に人の話し声や笑い声が絶えない場だった。

なんて書くと
近代化と幸福感が反比例するような
ミスリードがあるようにも思えるが、
幸福感(充足感)は、
近代化された生活とは関係ないというのは
事実だろうと思う。
ただ、近代化する生活が充足感を失わせているというのは
僕に言わせれば行き過ぎの結論だろう。
何かが欠けているから
それに行きつかないだけだ。
それは近代化された生活という
ことではないことを明記したい。

ただ僕が居た村が桃源郷ではなかったことも
同時に書かないと誤解があるだろう。
家事を担ってくれる機械が無いため
女性は家事に多くの時間を奪われ
やや家庭に縛られているようにも見えた。
医療が充実しておらず、
ホストファミリーの赤ちゃんが高熱で
泡を吹いた時も
隣近所の人が集まってイスラムのお経を
永遠と繰り返し祈りで対処していた。
近所に住んでいた少女は
小学校で1番の成績だったが
親は教育に理解を示さず、
比較的裕福だったにもかかわらず、
また少女も進学の望んだにもかかわらず、
小学校卒業と共に家事や農作業のために働き始め、
若くして結婚した。
結婚の結納金(男性から女性へ)が
伝統的に高い地域だったので、
若者は金銭的に余裕のある仕事がほとんどない
村に居ては自由に結婚ができず、
国外へ従属的な労働(森林伐採・プランテーション等)に
出稼ぎに行かなければならなかった。
彼ら彼女らの明るさは
現実の辛さを紛らわすための
明るさではないかと思えることもあった。

だが、その場で僕が見た
あのにぎやかしさと
人の集まる場の輝きは
とても強い印象として僕の中に残っている。
ネガティブな部分が多いとしても、
そこに人が集えば
そのコミュニティがどんなふうに機能するのかを
間近で3年間、僕は眺めることができた。

では、僕らの社会とは
その文脈の違いに目を向けずに、
短絡的に
近代化したものを取り除いて
そこに戻れば良いというのは近代化論よりも
訳の悪い結論でしかない。
原点回帰なんて幻想でしかない。
原点とする時からの状況の変容や
そこから出発してその間に獲得された社会全体の経験や
そんなものすべてをすっ飛ばして
無理やり結論付けているに過ぎない。
原点とは、似て非なるそれっぽいものに
ベクトルを向けようという
新しい試みでしかない。
人が出ていってしまった
近代化した、そして近代性により自分たちを
慣らしてしまった僕らの生活の中で
(自由な個人が確立されて感情よりも理性が正しいと思い違いしている合理主義)
今一度、人が集う地域を創るには
どうしたらいいのか。
文脈が全く違う僕らのこの場所で
どんなことができるのか
現実的に考えてみたい。




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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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