地域がそれに係わった人々が
勝手な認識によって重層的に捉えられた総体であると
前回書いたが、
それらがまとまった形であるわけではなく
そこに重なったままに放置された場でもある。

まとまりがないのなら
まとまりを付けることが地域づくりかというと
そうでもない。
まとまりはつかない、という現実が
地域を考える味噌になると思う。

そのエリアをどうとらえるかは
そこにある組織やグループや仲間への
帰属意識がその根本にある。
つまり何かに参加した形で
そのエリアをとらえ、
そしてそのエリアにアクションをかけるというわけだ。
で、こうした集まりには、
それぞれ形は違えども、
個人のお金や町内会費やPTA会費などの会費や
行政や財団・企業その他関連団体による活動助成金や
イベントやバザーの売上金、
募金、賞金、寄付金etc.によって
その集まりは運営されていることも多い。
だからその捉えられたエリアでは
その集まり特有のイベントや祭りもあるだろう。
それが活発に行われることを
地域づくりだという人もいるかもしれない。
だが、
もうその活動も飽和していると思われる。
個人的な経験で申し訳ないが、
今年いくつかの団体・集まりの
役員や委員を兼務している僕は
真冬と真夏を除いた春と秋は、
各種団体のイベントやその準備の会議などで
ほとんどの週末はつぶれ、
しかもそれぞれの会議やイベントが
同じ日にぶつかってしまうほど調整が困難なほど
それぞれのその活動は多い。
これ以上増やすことなど、
そもそも1年が365日しかないのなら無理さ。
地域づくり・地域おこしの過労死が
出ないのかと不思議に思う時もある。
あっそういえば僕の前任の方は
その役職中に脳梗塞で倒れたか。
ま、この議論の方向は
また別のエントリーでその深度を深めよう。

さて、それぞれの集まりがまとまりつかないのは、
それぞれに方向性を持ち
その方向性に合わせて予算を持ち
そして行動しているからでもある。
その方向性は組織に対して
行為能力を付帯させるパワーがあり、
その行為能力の強さがイベントの動員力と規模にもつながる。
各人の帰属意識の強さもその行為能力に付加されるが
その反対もあって
組織が持つ行為能力の強さが
個人の帰属意識を強めることもよくある。
「場」が作られるとそこにパワーが生まれるのは
それが所以だ。

行為能力の違いが
まとまりを生み出さないというのは当然で
それはそれ独自の行為能力を持つから
人々をひきつける力にもなるのだから。
どこかとどこかがまとまって
一つになっても足し算的に力が増えないという事例も
良く聞くが、それはそういうことだろう。
その反対である集まりから分離独立した方が
その組織の方向性が鋭利になって
より力を得ることもある。

これは何も僕らが捉えている「地域」だけでなく
組織そのものにも言い当てはまることだろうが
それが「地域」となると
一つ別の要素が加わって、それが特徴付けになっている。
それはそれに参加している人々が
物理的にそのエリアに住居環境をそこに持っていることだろう。
その物理的制約から生まれる地縁が
すこしこの「地域」を考えるうえで重要になってくる。

僕らは「地域」の中で、何もそれぞれの組織に必ずしも
共感と同調を得て参加しているわけではないという事実がある。
その場に住んでいる中で生まれる人間関係によって
帰属意識への欲求や、外圧的だったり強制的だったり、
お付き合いだったり、で加わることが多い。
もちろん、それに参加することで
お付き合いの関係はよくなり
その物理的な住居を含めた場の環境は
その個人にとって住みやすい方向に働く場合もある。
だが、その反対の悲劇的な結果もあったりもするけど。

それぞれのそういう集まりは、
そのエリアの小さな問題を解決している場合が多い。
行政や企業では解決できないそのエリアの小さな、
でもそこに人たちにとってはとても大切な
自分たちの生活の質が向上するような問題に対処できる。
PTAの交差点での見守り活動や
町内の清掃活動、用水の江掘り、物品の共同購入、
仲間が意識する公共の場の修繕と整備、
旅行やレジャー、そして祭り。
こうした活動によって、帰属している人たちの
関係性が強化されることで、さらに組織の行為能力が高まる。
その集まりが捉えたエリア「地域」の自治能力が
同時に高まる結果にもなる。

地縁を含むという点で、
それは守田志郎がかつて表現したように、
何代にもわたっての付き合いの中で
良い代もいれば、そうではない代もいて、
それでも村八分といった言葉に代表されるような
閉鎖的な締め出しをするというよりも
少しお付き合いを控えつつ、波風をことさら立てずに
その次の代になれば、またその仲間として受け入れていくような
風土は実際にあるように感じる。
田畑がなくとも、宅地と家を建てないかぎり
アパートや借地が無いので
この場に住むことすらできないような
僕らのような農村部では、その宅地や家もまた
地縁を生み出すもとになったりもするが
生業と分離されている分、
代を経ての付き合いにはならず、
帰属意識も限定的になるのが
たぶん「地域」の衰退を生み出してもいるのだろう。

そういったそれこそ多様な感情と環境で
仕事と生活をやりくりしながら
係り合いを持つのがそれらの集まりということになる。
地域づくりをしようという意志で、というよりも、
その場に住む者が、それぞれのできる範囲で参加し、
係り合いと方向性の双方向によって生まれる
行為能力を発揮する場が「地域」なんだ。
だから構成員の参加は、必ずしも一律ではなく、
深度もまちまちのなかで、
その個人は役職や予算・人間関係によって巻き込まれて
その中心でその個人とその団体の行為能力の発揮に
尽力するのだろう。

だから、それぞれの集まりを
上部組織的に組織しなおした連合会や連絡協議会等々が
作られたりもするが、
それ自体が地域づくりに大きく力を発揮できないまま
政治的に力をつけてしまうのは、
そういう仕組みになっているからだと思う。
行為能力的には、個別案件を扱えず、
抽象的な大きな議論に対して意見と圧力を伝えるだけの
団体になってしまっている事例は、
掃いて捨てるほどあるからね。
ただそれによって得られた予算が
その下部(本当は下部ではない場合も多いが)組織の
予算という形で力づけになっている場合もあるので
一概に否定もできないのだけどね。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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