一見すると
こういう論調はとても真っ当のように思える。
だが、本当にそうなのだろうか。

日本の“真の食料自給率”は1.5%?――【農家の窓から】

日本の自給率を
国家別にして比較するその意味は
何を指すのだろうか?
自給率が低くて大変だよって、
農業の再興が必要だよって、
そういう意味だろうか?

僕も一時期、
自給率にかこつけて農業への関心を高める
ツールとして喧伝したこともあった。
驚くほど低い自給率を示すことで
一時的にせよ、みんな危機感を持ってくれた。
で、次に出てくるのが、
自分たちで何とかしないと、という自給の意識。
これはこれでごく自然な反応なんだろう。
自給率が低いから、世界から輸入ができなくなったらお終いだ、
だから、自給率を上げないとダメだって。
じゃ、なんでこんなに低くなったの?
それは、資源の少ない国が
今よりも富める社会を作りそうとして
国家と産業界の呼びかけに応えるように
農業の産業構造の変化を受け入れた結果だ。
とデフォルメ化してしまうと嘘に近くなってしまうので
この流れは
暉峻 衆三 編集
『日本の農業150年―1850~2000年』 (有斐閣ブックス)
を参照されたい。とても良い本です。
というのは、余談。

さて、この自給率のお話、
それはそういう構造的な変化によって生まれた事実。
で、その先の議論を
どのように持っていくかによって、
ずいぶんと見えてくるものが違うというのが
最近とても気になるようになった。
ここでリンクした上記の記事の場合、
肥料やエネルギーが輸入できなくなった
『有事』の場合に備えて、という論調、
これはとても気になる。
そう、こんなところにも
こういう思想が入り込んできてしまうという点だ。

エネルギーも食料も自給率を高めて
一人で立てる強い国家を打ち立てよう!みたいな
プロパガンダを意識しているわけじゃないのに
それが入り込んでくるこの文脈は何?
意図して書いているのなら、もっと罪深いけど。

自給率が低いのは
それだけ資源のない国としての生き方・歩み方の
あらわれであって
それだけほかの国と一緒に歩むんだという覚悟が
その数字だと僕は思う。
国際分業論を意識して書いているわけじゃないので
あしからず。
あと国家としての自給率の表し方も
僕には違和を感じる。
僕らのつながりは、国家が規定するリージョンで
行われるわけじゃないことに
もういい加減、意識的になってもいいんじゃないかって
思うのだけど、
そんな流れは最近では『国家』に収斂されてしまい、
その国家の危機たる『有事』に備えだしてしまう始末。

有機農業も
食料自給率も
自然農法も
最近ではオルタナティブを生み出す力よりも
『国家』意識を補完する道具のように
僕には感じる。
危険だなぁ、この文脈は。








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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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