1月1日は家族で映画鑑賞。
昨年も映画館へ出かけたので、
今年も正月から映画館へ。

思えば、僕が小学校の時は
必ずお盆と正月は映画館に行ったのを思い出す。
あの頃は、席の予約なんてなくて、
立ち見で見ていた。
毎年恒例、
というのがなんとも家族の響きらしいので、
僕らも映画館へ行くのを
毎年恒例にしようと思っている。

さて見たのはベイマックス。
ディズニーの映画は良くできていて
山場や笑うツボがバランスよく配置されていた。

ただ観終わって、僕はある違和感が残った。
それは種明かしになるので、
ここから先は、見た人のみ読んでほしい。


ベイマックスが
空間の異次元へ取り残されてしまい、
その身を犠牲にして
主人公と教授の娘を助けるのだが、
その助けた後に、残されたデータを元に
主人公が
ベイマックスを復活させるシーンがある。
まさにそれに違和を感じた。
えっ?それでいいの?って感じ。

肌感覚からいえば
あれほど親しみ合った
ベイマックスは、まだ異次元をさまよっているのであり
データから再現されたものは、
ベイマックスと全く同じ機能であったとしても
また全く同じ記憶だったとしても、
やはり別物だ。
そう感じる自分がいた。

これは僕らの持つ生死観と西洋のそれとが
違うことによる違和なのかもしれない。
脳が死ねば、体の臓器は
ただのパーツにしか過ぎないかもしれない。
それは論理的に僕も理解している。
だから脳をつかさどるデータが
手元にあれば、
それで新たにベイマックスを復活させることができた。

でも抱きしめたあのベイマックスは
それじゃない。
思考だけじゃなく、その総体が
その対象者なのだ。
だから脳死を巡る議論では
理解はできても感情的に整理されないのかもしれない。

さらりと映画終盤で
ベイマックスが復活するシーンを盛り込めてしまう
その思考に、
僕は違和というよりも
怒りに近い感情が湧いてきたのが
自分でも理解できた。

とてもいい映画だったが
こういう点で僕とこの映画製作者との間に
大きな差異が存在することが
分かった。

子供映画といえども
なかなかその背景に隠された意識は、
考察に値する。

皆さんもベイマックスを観たら
その感情がどんなものだったかを
一度考えてみてください。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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メールは
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