続けて、
もう一つ書こうか。
近畿大学農学部で講義をしたのは
前回のエントリーで書いた通り。
その感想をJOCAの友人が
その日のうちに送ってきてくれた!
いやいや仕事ができますねぇ。

で、おもしろい質問もあったので、
それに答える形で一つエントリーとしようか。

大学時代のバックパッカーの話もしたのだが
それについての質問も多かった。

「タイやインドネシアに行っている間、家族とは連絡は取れたのか?」

うーん、バックパッカーの時は
基本、日本との連絡は誰とも取れていない。
当時(1990年代の中頃)は
携帯電話は一部の金持ちの道具だったし、
インターネットもほとんど普及していなかった。
固定電話と手紙が連絡を取る主なツールだったし。
旅先から、自分が撮った写真(フイルム)を
はがきサイズで現像して、
その裏にメッセージを書き込んで日本の友人に
送ったりしていたかな。
連絡のツールが今みたいな携帯やラインなんて
無かったから、
そんなに頻繁に連絡取らなくても
別にだれも心配しなかった世の中だったしね。

「お金と時間に余裕がないとできないと思ったのですが、バイトしながらでも時間があったのか気になりました」

という質問は、たぶんバックパッカーで
最長2か月くらい海外を
ふらついていた話についてかな?
大学生時代バイトは結構していた。
車の工場でダクト清掃、
病院の夜間警備、
デパートのイベント催事場のセッティング
などが主なバイト。
全部、夜のバイト。
で、これらはシフト制で
みんながやりたがらない年末年始は
僕がかってでてやっていた。
工場のダクトの中や
病院の警備室で正月をなんども迎えたな。
その分、春休みはシフトを有利にしてもらって
その時期に海外に出ていた。
辛いバイトは、なり手も少なかったから、
けっこう融通もしてくれて、楽に外に出れたね。
バイト選ぶときも、まとめて休みが取れるやつを
中心に選んでいたし。

「旅行するときに必ず持って行っておくべきものを教えてほしい」

うーん、パスポートと現金かな。
ベトナムを自転車で縦断した時は、
悪路過ぎて自転車に着けていた荷物を載せるキャリーが
早々に割れてしまって、
たくさん持っていた荷物を手放さないといけなくなった。
その時、20㍑くらいのデイバッグに
下着1式とタオルと医薬品と自転車の修理道具だけを
詰め込んで、残り4週間くらいを過ごした記憶がある。
ズボンが1着しかなくて、
そのズボンが自転車のギアに引っかかって
ふとももの付け根まで破けてしまった時には、
かなり恥ずかしい恰好で走っていたけど、
泊まった地方の小さなホテルで
フロントのお姉さんから
裁縫セットを借りて
破れたズボンを自分で直したね。
持っていくのなら、そういう「技能」だな。

次に協力隊の時の質問も多かった。

「どのくらいの期間でインドネシア語が話せるようになったのか」

正直、今もそんなに上手じゃない。
いつも間違えてばかりだし。
言葉はただの道具。
上手に話せても中身のない話には
だれも耳を貸さない。
たどたどしい言葉でも、真実の語りには
みんなが耳を貸してくれる。
上手に話せる力があるのなら、それが一番だけど
肝心の語りの内容が幼稚ではいけないね。
僕は協力隊時代は
結局帰国間際になっても言葉をよく間違えた。
それをネタにして笑いをとるくらい
余裕も出たけどね。

「IMFの介入で赤玉ねぎの値段が落ちると、もっと早い段階で情報が入らなかったのか」

これは協力隊活動についてだね。
自分が指導していた作物が
通貨危機に陥ってIMFの介入を受け
その作物の関税が取り払われて
価格が1/75まで暴落したって話。

情報は、まったく入らなかったよ。
任地の県の職員(地方のエリート)とも
一緒に仕事をしていたけど、彼ら彼女らも全く知らなかった。
それが途上国だ、といえばそうなんだろうと思う。
JICAの専門家からもなんの情報もなかったし。
TPP交渉のように秘密裏に行われる
交渉なのかもしれないね。
ただそういう情勢によって
社会がどんな不安を受けるかを僕は身をもって知ったので、
今のTPPについては同意しかねる部分も多いな。

「インドネシアでのJICA協力隊で実際にどういうことをされていたのか?」

時間がなかったので、
協力隊の話はほとんど飛ばしてしまったね。
ごめんなさい。
詳しくは、
小國和子 著 『村落開発支援は誰のためか』を
参照してほしい。
そこに出てくる隊員Bが、僕なので。
この本は、協力隊に行きたいと思う人なら
読んでおいても損のない本。
ぜひ一冊お手元にどうぞ。

インドネシア研修生がらみの質問もあった。

「インドネシアの学生を受け入れるその原動力は?」

講義の前日にJOCAの友人と飲んでいて
こうした活動に自分が踏み進んでいくのは、
やっぱり「愛」なんだろうかね、と
飲んだくれのおやじ二人で話していた。
たぶん、いや確かに「愛」だと思う。

「研修を終えたインドネシアの学生のその後は?」

これは、ブログのエントリーにあるよ。
リンクを貼っておくので、どうぞ。
卒業生のそれから

農園の説明をほとんどしなかったので
こんな質問もあった。
「野菜作りや農業に対するこだわりは?」
「農園は儲かっているの?」

こだわりは、ホームページをご覧ください。
で、儲かっているかどうかは、
うーん、どういうのが儲かっているってことなんだろうね。
自分の欲しい物が全部買えるような状態?
でもそんなに欲しい物ないしね。
モノじゃなくて、技能と新しい考え方は欲しいけど。
それは手に入る状況に身を置いているつもりなので
満足はしている。
スタッフがとてもがんばっているので
もう少し高給を払いたいと思っている。
なので、
そういう意味では、売り上げの現状には
満足していないかな。

「将来の活動目標があれば教えていただきたいです」

あるよ。
でも内緒。
もう少し先が確定してきたら、
やってみようと思うことがある。
要は、インドネシアと僕らの地域を
もう少し強く結びつける仕掛け。
たぶんそれ以上に
新たに出てくる課題を解決していく中で
僕が思ってもみなかった方向に
すすんでいくんだろうなぁ、とも思っている。

では、みなさん、
一所懸命、全力で、
学生生活をエンジョイしてください。






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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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