小学校の凧作りに
PTA役員として参加した。
凧作りは5,6年生の親子が参加するイベントで
地域の凧作りの会の方から、
作り方を教わりながら凧を作るというもの。
もともと僕らの小学校では、
凧作りの伝統があり、僕が小学生の頃も
毎年凧作りをしていた。

久しぶりに凧作りに参加して想った事は、
それは凧作りそのものの変化への驚きだった。
僕らが凧作りをしていたころは、
小学1年生から参加していたイベントだったが、
今では5,6年生のみ。
さらに、そもそも夏休みに親子で参加することはなく、
2学期の放課後や図工の授業中に
子供たちだけで作っていた。
たまに先生の裁量で、体育までも
その時間に割り当ててくれたこともあったっけ。
いまだったら、問題になるかもね。
そして、もっとも驚いたのは凧そのものの形だった。
5年生が平面の凧で、6年生は行灯凧(立体凧の基本)という
低レベルさ&基本の形を手順通り作るということだった。
凧の会の方々がよく飛ぶ基本の凧を用意してあり、
その手順に沿って親子で凧を作る。
そこからの逸脱は、ありえない感じだった。
ちなみに僕もPTA役員として
凧を一緒に作った。
そして竹ひごの結束にミスがあり、
「それだと和紙貼りが大変だね」
と凧の会の方が先回りして
失敗も丁寧に教えてくれた。

僕らが小学生の時は、
それぞれが好きな凧を作っていた。
3年生ですでに立体凧を作る連中もいたし、
たいてい4年生で行灯凧を作っていた。
6年生にもなると幾何学的な凧を作るやつもいたし、
大凧や連凧に挑む友人もいた。
凧作りの指導は、
一応先生たちもしてくれたが、
それぞれが個性むき出しに
自分のアイディアで
凧作りをしていた。
それが飛ぶかどうかは、常に二の次だったような記憶だ。
いや、作っている本人は、その凧は大空を舞うイメージで
一杯だっただろう。
でも、その形では飛ばない、と言われても
作り変える奴なんかいなかった。
そんな凧作りは、
もちろん、学校の授業中や放課後では
完成しなかったので、家でも作っていた。

親子で参加するのは、
それはそれで子供のころを思い出すようで
楽しい時間のようにも思えたが、
そこにはあのころにあった
自分たちの個性むき出しの
飛ばないかもしれない凧を一所懸命作る場では
なくなっていた。
もちろん、その反対であの頃にはなかったモノもあった。
凧作りの会という地域の人たちや先生や親を巻き込んだ
より地域的な関係はあった。
それはそれで評価したい。
でも、
僕が凧作りに感じていたあの感覚は、
そういう場じゃ生まれにくい。
なんだかそれがとても残念だった。
今の子供を取り巻く社会の文脈の中で、
凧作りは、地域とのかかわりの中で、
「よく飛ぶ凧」を作る場になっていた。
凧作りそのものが伝統化され、固定化されていた。
僕が思い出したかつての凧作りの場にあった醍醐味は
すっかり削り落とされているように感じた。
ちょっと残念だった。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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