まだまだ日の浅いPTA役員歴なので、
わかっていないことも多い。
だが、僕の目から眺めてみて、
これまで起きたちょっと僕の日常になかった
PTAにまつわる事柄と
それまで僕の「常識」だったことと、
そして、妻の姉の面白い記事との間に
とても面白い差異を見つけたので、
ここで記録しようと思う。
こういう差異が、
僕らの認識とその上に成り立つ社会の在り方を
鮮明に照らしてくれたりもする。


まず妻の姉の記事のリンクを貼ろう。

毎日新聞 2014年4月21日
『PTA:役員決めは罰ゲーム? やらない人はトイレ掃除も』

なるほど、都会のPTAは
新入学や進級したクラスに親たちが集まって、
そういう風に決めていたとは、
僕にはちょっと新鮮だった。

こういう決め方をすると、
ちょっとネガティブな感じになるよな~って
思うが、
だからと言って自分たちはどうかと言われれば、
そういうネガティブな空気はあるので、
同じと言えば同じの部分もある。
でも、違う部分も多い。

では何が違うか。
組織的なことでいえば、
僕らの小学校では、PTAと僕ら個人の間に
集落ごとの子供会があることだろう。
そしてPTA役員の枠は、
各集落の子供会に割り振られ、
その中で調整をつけるのが普通だ。
個人が全員直接集まって、その場で決めることはない。
集落も8集落あるが、そのうち2集落はとても小さいため
PTA会長といった大役は回さない決まりになっている。
ここでもPTAと子供会の間で調整が行われている。
町内の子供会での話し合いなので、
それなりに事情は加味されるし、
それぞれ知った間柄なので、
やらない人に罰ゲームなんてことはない。
たぶん。

では、話し合いで決まるかと言えば、
そういうときもある。
でも、今年の大役であるPTA会長職は
あみだくじで決められた。
ちなみにあみだくじにしようといったのは僕。
だって、話し合いだと全然決まらないというか、
始めっから、子供会メンバー全員が
僕に押し付けようというムードだったので、
あまりの不公平さに、あみだくじを提案したわけ。
結果、他の方がその大役を引き当て、
そしてその方から、それに続く大役・庶務(会長補佐役)を
頼まれて今年やっているというのが、今の構図。

義姉が書くように、
僕にとっても
PTA役員はやはり大きなプレッシャーになっている。
それがなんでだろうかって
最近よく考える。
一つには、仕事と生活のバランスが崩されることへの恐怖だろう。
平日は忙しくて、役員会なんて出席してられないし、
土日のイベントもなんだか億劫だっていうのも分かる。
平日会議に出れば、
その分生活と仕事の時間が奪われる。
土日のイベントも行ったら行ったで
結構楽しんでいたりするのだが、
休み返上だって感じてしまえば、やはり負担だろう。

もう一つのプレッシャーもある。
PTAという場は、これを発展させて何かをやろうという
雰囲気があるかないかは、
それぞれの組織体質があると思うが、
役員になったことで、大過なく過ごさねば、
といったプレッシャーがある。
決まった活動を決まった通り行うのだが、
そこにかかわる外部の団体や学校内の父母などから
過ちを指摘されるのが、
不思議と苦手な立場に追い込まれているような気がする。
慣れない役とその責任に押しつぶされるような
そんな圧迫感とでも言おうか。
そんなプレッシャーがある。

これら二つのプレッシャーはどちらも、
僕らの精神が自由を失う恐怖から来ている。

そしてそれは本質的に
PTAの活動と組織から抑圧を受けるから
生まれてくる恐怖ではないはずだ。
それらの状況で自分の精神が委縮することで
生まれる恐怖なのだ。
だから、僕は委縮する精神が
自由な広がりを感じられるよう意識しながら
これらの活動に取り組むことに決めているのは
また別の機会に書こう。

人が自由を体感する場面は、2つに分けられるべきだろう。
社会的なさまざまな束縛や抑圧から自由になることと、
人間の精神が自由なひろがりをもつことである。

どちらも同じように見えるが、そうでもない。
社会的な束縛と抑圧を取り除いても
人の精神の自由な広がりは自然とは生まれてこない。
また束縛と抑圧と思われる制度や組織があったとしても
それによって人の精神の自由は
損なわれない場合もある。

PTAにどのようなプロセスで
参加するか(参加させられるか)がまた
その組織の抑圧の感じ方に違いが生まれてくるし、
その中で自由な思考と行動を生み出せる場合もある。
僕らの例でいえば、
今年のPTA会長職は、
僕らの集落の子供会で決定している。
その時に、当時の子供会の会長さんが、
「○○さんに会長職をお願いした以上は、うちの集落挙げて○○さんをバックアップしていきましょう!」と力強い言葉をみんなにかけていた。
その言葉があったからこそ、会長から僕に
庶務という役を頼まれたとき
二つ返事で答えたのだ。

またこの前おこなった、地域の団体(公民館など)を含めての
PTA懇親会の話を例に出そうか。
その会は教職員歓送迎会も含まれており、
転出・転入の先生たちは、ご招待ということもあり、
一般参加の方の参加人数によっては、
赤字になることもある。
その場合は、PTA会長が自腹を切らないといけないらしい。
そんなバカなことあってはいけないので、
僕はこの会が行われる前から
自分の集落の子供会の方に話をして、
赤字が出た場合は集落の子供会の会員で
負担してくれるように頼んで、その了承を得ていた。

PTA総会でも
うちの集落の子供会から議長やお手伝いの方が出てくれて、
そういったことで頭を悩ますこともなかった。

仕事や生活の時間を奪われることによる
不便さは当然それで減りはしないが、
それでも個人が一人でその職責に立ち向かう必要はない。
これが義姉の書いた状況とは少し違うところだろうか。
だから、少なくとも僕は
PTAという組織とその職責から受ける
精神的な抑圧はあまりない。

またコミュニティに根差した小学校というのも
違うといえよう。
子供が通う小学校の親は、
その多くが小中学校時代の先輩だったり後輩だったり
同級生だったり。
地域の団体の長やお偉いさん方も
先輩や後輩や同級生の親だったりする。
閉鎖的にも見えるかもしれないこうした地縁は、
僕らに余計なプレッシャーを取り除く場合も
多くある。

個が自由にそこに立脚するために
多くの組織と制度を解体して
出入り自由な場をたくさん作ってきたが、
その反動で個が個としてその場に立ち向かう
プレッシャーもまた大きくなったともいえよう。
義姉が書いた記事は、
それがその社会が持つ精神的な習慣なんだろう。
だから僕には異質に見えたりもする。

だから記事にもあったが
PTAに積極的に参加されている方で
ボランティアや地域を巻き込んだ
新しくコミュニティを作る人も現れてくるんだと思う。
僕らにはそれが初めからあるのが当たり前だから、
それが不思議に見えたりする。

PTA懇親会である先生から
「普通PTAというと一所懸命やる方は2,3人だけですが、ここの地域は違いますね。地域挙げてやっている感じがします」と言っていた。
そう、それはもともと学校を中心として
それを支えていく集落の組織や連携してきた外部団体が
僕らの精神的な習慣で当たり前になっているからかもしれない。
そしてある先生からは、
「PTAの役職が生徒数に比べて多すぎますよね。街のPTAはもっと数が少ないですよ。やっぱり減らした方がいいですよね」
と懇親会で言われたが、
僕はそれを強く否定したい。
便利で自由さを増やしたいのなら
それは組織を無くしたり、減らしたりすることじゃない。
僕らの精神が自由な広がりを感じられる場を
それを支える人とのつながりを築き上げる中で
作っていくことに力を注ぐべきなのだ。
都会のPTAが先祖がえりのように
新たにコミュニティを作り上げて組織の有用性を向上しようと
しているのだから、
僕らが他の都会のPTAを真似することはない。
だって僕らの組織の在り方と
僕らの精神の習慣の方が
トップランナーなんだから。

僕は庶務という役を通して
今年1年、思い存分、
その自由な広がりを楽しもうと思う。




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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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