夏場の主力野菜モロヘイヤの残渣を、自家菜園に敷き藁がわりとして敷く。
草を押さえる役割があるとともに、むき出しになっている地肌に敷き藁ならぬ敷きモロヘイヤをすることで、地力低下を防いでくれる。敷きモロヘイヤの下では、菌や虫も増え多様化するだろう。

普通このあたりでは、草が出ればトラクターをかけたり、管理機で除草したり、除草剤を散布したりして、とにかくきれいな地肌を評価する。ばあさん連中に言わせると、『草のある畑はダワモン(方言:うつけ者の意味)や』と酷評する。

最近、僕の畑の草がずいぶんとのびてきていて、直接ではないが、僕の耳に届くようにそんなことが口にされている。草はある程度あったほうが、天敵のすみかにもなるし、肥料の流出も避けられるのだが、そんなことをばあさん達は評価しない。きれいな畑かどうか、それが大事なのである。肥料がいまよりも高価で、なおかつ自給できないもの(化学肥料)で、さらには近代化することに大きな価値が認められていた時代を過ごしてきたばあさん達には、雑草は大事な肥料を横取りする最悪なもの、としか認識が無い。また今のように便利な道具もなく、除草剤もない時代では、一度うっそうと雑草が茂ってしまえば、その畑を使えるようにするためには、かなりの労力が必要だったに違いない。そういう経験を経て、今のような価値観があるもかもしれない。

そう理解はすれど、僕自身、畑に除草剤を使う気はさらさらない。だからといって、草むしりもせず、ダワモンといわれ続けることが平気なほど厚顔でもない。では草むしりをするかと言えば、そんな余裕もないわけで。

そこで、収穫し終わって、その役目を終わったモロヘイヤの残渣を、敷き藁代わりに畑にひいた。除草するより手間はかからず、しかも畑の生物資源の多様性は守られる。

農法の中には、除草をせず、わざとうっそうと雑草を生やしたままの農法がある。そういう農法を試している人も全国あちらこちらに散見されるが、僕はそれをよしとはしない。個人と畑の関係では、そういう農法もあるだろう。だが、僕はそれ以上にこの村の人々と関係を結んでいる。それら包括的な関係の中で、受け入れられる形で新しい取り組みをする。実はそういうことが今、やっていて一番面白く感ずるのだ。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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