さらに見学は続く。
次は谷を下り、
谷の向こう側の畑へ行った。
とこう書いてしまえば1行なのだが、
その畑までいくのはなかなかの困難が多く、
けもの道のような道を足を取られながら下り、
崖を少し削ったような細道を
おびえながら通り過ぎなければならない。
僕らは手ぶらで歩いていけばいいが、
ここに住む農民たちは、
肥料や農作業道具、そして収穫物を担いで、
毎日この道を行き来するのだ。
彼らの日常が、ただもうそれだけで
英雄譚のようにも感じられた。

3か所目の畑は、
そこは切り立った崖のような斜面を
テラス状に耕し畑にしていた。
ヘンドラが帰国した年(2011年)に親戚から購入した。
45aの畑で、結構な広さだった。

帰国してすぐにこの畑に、トウガラシ約1万本を
ヘンドラは植えつけたらしい。
新規就農者が一度はやる失敗ともいえるかもしれない。
育苗と定植のときは、結構作業が楽だし、
小さな苗を見ていると1000本でも2000本でも
楽勝で管理できる気がしてしまう。
そうやって植えつけた畑は、大抵、
収穫時期に地獄を見ることになる。
ヘンドラの場合は、
この時期にインドネシアでも最大手のABCケチャップ社と
契約栽培を検討している時期でもあり、
大規模のトウガラシ栽培が可能かどうか
冒険していたころだったので、
1万本という途方もない数を植え付けてしまったのだろう。
当然管理が行き届かず、
支柱と結束が十分でなかったこともあり、
十分大きく育ったトウガラシは、
谷風が強い日にその多くが折れてしまった。
そして残ったトウガラシも収穫が追い付かず
大量に廃棄になってしまった。
そしてグループによるABCケチャップ社との
有機トウガラシ栽培契約も
その他の要因もあって立ち消えた。
(詳しくは、2013年の調査エントリーを参照のこと)

この経験は彼に多くの学びを与えた。
自分たちが出来る営農の限界と販路の問題にぶち当たり、
彼が出した答えは、
如何にして高く売れるかを至上とするよりも、
確実に売れることを優先しようということだった。
そしてそれは、営農のモノカルチャー化を避け、
労働の分散とリスク回避の中で行われるべきだと
彼は考えていた。
だから彼の畑はどれもこれもその思想で溢れていた。

3番目の畑は
野菜には向かないし、労働の分散も考えて、
今はここに丁子とバナナを植え付けようと準備中だった。
毎日の収穫は集落近くの畑で賄い、
この畑のように少し遠い場所では果樹をするといった
デザインを彼は想い描いていた。

丁子は現在高値で取引されていた。
嘘か真か、農家との話では、
スメダンの丁子畑の多くが、
建設中の高速道路の用地や住宅地として売却されたという。
それで昨年の丁子の価格は一昨年の倍の価格で、
スメダン近辺ではにわかに丁子栽培のブームが起きていた。
スメダンの一部の畑が高速道路に変わっただけで、
そんなに価格変動するものだろうか?と
やや僕は懐疑的なのだが、
農家はそう認識していた。
そしてここが大事だが、
その認識に合わせて、農家の行動として
丁子を大量に植えつけていたということである。
丁子が収穫できる5年後、そして収穫が本格的になる10年後に
大量の丁子が収穫され、価格が一気に下落するんじゃないか?
そんな心配をしている。

そしてそれはヘンドラやタタンも認識していた。
周りの農家たちが丁子ブームに沸く中、
彼らもある意味冷めた目でそれを見てはいたが、
だからと言って、
そのブームを無視して独立独歩を貫くことはできず、
彼らも大量の丁子を植え付けていた。
もう少しこの丁子ブームの情報があれば、
その市場や高値を生み出している構造を分析でき、
将来どういう値段の推移をするのか、
考えることができるのだが、
そのあたりの多くは噂話で事が進んでいく危うさもあった。
そういうことは、
農業研修の
農業構造論とグローバリゼーションと農業の授業でもやるのだが、
彼ら農家の立場では、アクセスできる農業情報が
圧倒的に少ないため、まともに分析できないのが現状だろう。

ただヘンドラは、丁子が育つまでの間のタイムラグを
埋めるために、バナナとの混植をしていた。
バナナは植えつけ1年目から収穫可能で、
換金性も高い。
頻繁に管理しなくてもいいので、3番目の畑には
もってこいの作物でもあった。
ヘンドラたちの
現場でのこうした対応能力は非常に高いだけに、
農業を取り巻く全体像が
見えないことがやはり悔やまれる。

ヘンドラの営農は、畑ごとに
そのリズムは分かれていたが、
それは彼が導き出した農のカタチなのだろう。
1番目と2番目の畑では、
日々売れる野菜とやや高く買ってもらえる野菜を
組み合わせて、販路に合わせた作付けをしていた。
毎日少しずつの収穫と播種を繰り返す営農スタイルで、
確実に売れる野菜を作っていた。
選別を徹底しているヘンドラの野菜は、
商人から厚い信頼を得ているとのことだった。
またそれを担保している育苗技術も
素晴らしいものがあった。
日本で見た育苗技術を取り入れ、
個人で大量に野菜の苗を作る技術を確立していた。
そしてその一方で3番目の畑のように
手入れがほとんどいらず、
やや粗放型の果樹園も計画していた。
他にも羊を8頭飼い、
急な出費にも対応できるようにしていた。
労働とリスクを分散させ、
確実に売れる野菜とそれを支える技術、
現場で複雑に対応していた彼の背中は頼もしかった。

さらに驚くべきことは、
彼が若干27歳にして、集落長に選ばれていたことだった。
彼の父は集落長ではない。
だから世襲ではなく、住民から選ばれた集落長なのだ。
僕はこれまでいろんなインドネシアの農村で調査をしてきたが、
彼ほど若い世襲でない集落長を知らない。
住民の厚い信頼がなければ、ありえない役職だった。
さらに、今度の4月にインドネシアは大統領選挙と
国会議員選挙があるのだが、
彼は村の選挙管理委員会の委員長になっていた。
前年に行われたスメダンの知事選でも
村の選挙管理委員会の委員長だったらしい。
いつのまにか、ヘンドラは地域の有力者になっていた。

彼自身、
「農業はまだまだ成功とは言えません」と
言っていたように、畑には多くの苦悩を感じた。
だがそれと同じだけの、いやそれ以上の希望もまた僕は感じた。
こうしてヘンドラの村を後にした。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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