ヘンドラは、2011年4月に帰国した。
僕の彼への思い入れも、
みんなと同じだと言いたいのだが
やはり研修第一期生ということもあり、
やや特別だ。

帰国してすぐに
農家グループ長になったタタンのように、
ヘンドラも昨年の訪問の時、
すでに農家グループ長になっていた。
今回はどんなことで僕を驚かせてくれるのだろうか、と
なぜかそんな期待が常に彼にはある。

ヘンドラの地域は、へき地だ。
だが都市から遠いわけではない。
むしろタタンよりもバンドゥンにも
県都スメダンにも近い。
地図上では、とても立地が良い場所のようにも見える。
しかもバンドゥンからスメダンへ抜ける州道沿いなのだ。
だが彼の地域は、とその大きな道との間には、
大きな谷が横たわっていた。

その谷には橋がなく、
自然その谷を上り下りしなければならない。
4輪の乗り物では、そこを下っていく道が限られており、
また悪路でもあるため
よほどオフロードを得意とする車両でなければ
その道を通ってヘンドラの村に入っていくことはできない。

ちなみに急斜面を一気に下りるバイクだけが通れる道はある。
そこがヘンドラの地域の生活道なのだが、
年に何人もけが人(骨折程度)が出る道らしい。
僕が訪れた時も、ちょうどその月に村人一人が、
その急斜面で曲がりきれずに、そのまま谷の下まで
落下したらしい。
運よくほとんど怪我がなかったらしいが、
バイクは大破だったとか。
旅で訪れた人には、
その斜面を専門としたバイクタクシーなども
利用できるが、まぁ、お勧めできない。

さて、タタンの村を朝8時ごろ出て、
ヘンドラの家に着いたのは、お昼前だった。
雨季ということもあり、
何度も車がぬかるみにはまり往生したが
なんとか彼の村まで来ることができた。

到着してすぐに、
僕らはヘンドラの畑を見回ることにした。
ただ彼は、
「とても危険なところが多いので、近くの場所だけにした方がいいです」
と言ってすべてを回ることを渋っていた。
そんなんじゃ、ここまで来た意味がない、
と言い張り、無理やり回ったのだが、
彼の言うとおり、それはちょっとしたトレッキング並みで、
いや、道が整備されていない点で
それよりも悪い状況だった。

彼の村はぐるりと谷に囲まれているため、
畑は谷手前の斜面か、
谷向こうの斜面に限られていた。
平地はゼロ。
すべて斜面で、しかもなだらかな棚田ではなく、
急激な崖の所々を耕起している
といった表現があっているだろう。
急な斜面に作られた田んぼでは、
当然、地滑りも起きる。
地滑りが起きるとそのまま畑として数年利用し、
土地が動かないと確認できた場合、
また棚田に作り直して稲を栽培している。
僕が見学したときも、田んぼの数か所に
大規模な地滑りの跡があり、
ヘンドラは、
「あそこは雨期が終わればたぶんキャッサバの畑になります」
と平然と答えていた。

ヘンドラは、自分の村で水田を所有していなかった。
祖父の遺産として違う地区に水田があり、
それは他人に任せているという。
食べるための米は父の水田と、
任せている水田と妻の実家からまかなっている。
彼自身、こういう場所で水田経営することは
気が進まなさそうだった。

彼は自分たちが食べるための農業ではなく、
農業経営という意味での農業を目指していた。
それはあとで記述するが、彼の営農のスタイルから
強くそう感じられた。

彼の土地は、大きく分けると3か所だ。
まず一番先に見に行った畑は、
ヘンドラの集落よりも一つ谷の上にある集落だった。
その集落内にヘンドラは畑を所有していた。
17aほどのなだらかな斜面の畑で、
2012年に購入したという。
この土地を購入する前に彼は中古住宅を買い、
その住宅のリフォームを行っている。
それらの資金は日本で得たものだったが、
それに少し余りが出たので、
思い切ってこの畑を買ったらしい。
ちなみにこの畑を買って、
日本での資金はすべて使い果たしたとのことだった。
さてその畑の近くでは、
食肉用の鶏ビジネスを行っている人がいて、
そこの鶏糞をふんだんに使用できると
ヘンドラは言っていた。

ヘンドラも帰国直前に
この養鶏ビジネスをやろうと父から言われていた。
ただ彼は養鶏をやったことがなかったし、
リスクが大きすぎると考えていた。
紆余曲折あり、結局そのビジネスに
投資することはなかったというのは余談。
余談ついでだが、
インドネシアでは食肉の需要が高まっていて、
マニュアル化された養鶏ビジネスが盛んだ。
リスクは高いが、もうけも大きくて、
僕がかつて行った調査でも、
養鶏を始めた農家が一気に儲けのレールに乗り
規模を大きくしていたこともあった、
ということも余談。

ここでは面白い作付けをしていた。
まず赤豆(うずら豆のようなもの)を栽培し、
それが収穫される前にねぎを植え、
赤豆の収穫が終わる前に、
トウガラシの苗を植えるという栽培法だ。
Tumpang sariという名のインドネシアでは
かなりポピュラーな栽培法で、
いわゆる昆作・間作のことである。
一農家当たりの耕作面積が小さいジャワという事情と
トラクターで耕起できないこと、
熱帯という病害虫が猛威を振るう地域が背景になって、
こうした昆作が作物をリレーさせながら
行われている。
ヘンドラの場合は、
うちの農園での授業でやった総合防除を
よく覚えており、
コンパニオンプランツといった作物間の相性を
実践に取り込んでいた。

この畑のトウガラシは、
知り合いの揚げ豆腐屋に卸す予定をしている。
西ジャワは高速道路の整備に湧くが、
その高速道路のサービスエリアにお店を構えている
揚げ豆腐屋が毎週50㎏のトウガラシが欲しいと
ヘンドラに連絡があった。
高速道路のサービスエリアでは、
通常ありえない値段でものが売買されていて、
ヘンドラのトウガラシの買値も一般の市場よりも
倍近い値段で買ってくれる予定になっている。
ちなみに揚げ豆腐には必ず小さなトウガラシがついており、
それをかじりながら豆腐を食べるのが
西ジャワ(ジャワ全般)では一般的である。

2番目に見に行った畑は、
ヘンドラの集落の近くの畑だった。
ここは日本にいる間に購入した畑だった。
9aの畑で、斜面をテラス状にして
耕作していた。
ここでは、ソシンというアブラナ科の菜っ葉と
きゅうりのローテーション栽培を行っていた。
どちらも価格は安いが、
どちらもインドネシアの日常に欠かせない野菜である。
つまり、どこへ持って行っても
かならず売れる野菜なのだ。

実はこれはとても肝心なことなのだ。
野菜は生き物なので、収穫適期がある。
過ぎてしまえば商品にならない。
だから適期に収穫するのだが、
果菜類や葉菜類は日持ちがしない。
しかもインドネシアは熱帯で、毎日真夏だ。
そして流通のコールドチェーンがしっかりしていないので、
冷蔵保存なんてできないため、
葉菜類は収穫したらできるだけ早く販売しないといけない。
そんな不備も、
たぶん商人から買いたたかれる要素の一つなんだろうと
僕は思うのだが、それはまた別の機会に
議論するとしよう。

そんなわけで
収穫した野菜が必ず売れるというのは
価格が高い以上に、
農家にとっては重要な要素になったりもする。
だからヘンドラは、価格が安くても
とにかく毎日売れる野菜を作っている。
ソシンとキュウリは野菜を買い取る商人のところへ
毎日持っていくのだという。
もちろん近所の人も結構買いに来るので、
こういう野菜は足りないくらいだとか。
「小さくても、安くても、とにかく販売できるものを作り続けるのが大切なんです。」
とヘンドラは言った。
何かを決意するような、
もしくは自分に言い聞かせるような、
そんな言葉だった。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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