タタンの地域に影響を及ぼしている
巨大な国家プロジェクトとは、2つある。
一つは幹線道路の拡幅工事。
タタンの村から近い街Wadoから
お隣の県Majalengkaに伸びる道が
両幅15mも拡幅する予定で、
僕が訪れた時にはすでに用地買収は済み、
一部で拡幅工事は開始されていた。
この影響を受けて、道路沿いの土地の価格が値上げし、
玉突き的に土地全体の価格も押し上げているらしい。

さらにもっとインパクトがあるのは、
巨大ダムの建設だった。
タタンの村から車で1時間も行かないところで、
そのダムの建設は行われていた。
完成すれば東南アジア最大級のダムになるらしい。
スハルト政権時代から計画があったらしく、
用地買収の一部はその時代に行われていたとか。
その巨大なダムは、多くの村と農地を飲み込んでしまう。
その人たちは移転先をあてがわれたわけではなく、
金銭のみでの補償だったらしく、
住民はそれぞれに近隣で農地を確保しているらしい。
また、そのダムに沈む場所には政府系の森林公社もあり、
その移転で近辺の森林400haを購入する予定で
すでにその一部は売買されていて、
残りの用地がどこになるのか、
村人が集まればその話題がトップニュースになっていた。
こうした土地買収の過熱により、
農地の価格は三倍以上に高騰していた。
タタンは、現時点ではこれ以上農地を増やせない、
と言っていたのは、この土地価格高騰の煽りを受けてである。

余談として、村人たちの集まりで
彼らの認識としてあった話だが、
農地を買い占めているのは、都会の投資家だという。
Majalengkaでも空港ができる話があるらしいが、
その用地買収が始まる前に都会の投資家たちが
その周辺の土地を買い進めていた、とまことしやかに
語られていた。
そして今回も森林公社が買う土地は、
その投資家たちが買い占めた土地だろう、と村人はいう。
それが本当か嘘かは別として、
それが彼らのリアリティなのだろう。

さて、農地を拡げられないという外圧は、
タタンの行動に少し変化をもたらしたように思う。
帰国前にタタンが立てた営農計画では、
果樹園経営が柱だった。
ただ果樹は植えてから数年は収穫がない。
なので、それまではその果樹園用に育苗する
果樹苗を販売して収入の一部に充てると言っていた。
その言葉通り、彼は果樹のナーセリーを始めており、
実際に販売していた。
1か月に1万円の売り上げがあり、
小規模ながらもそれなりに順調な滑り出しのようにも思えた。
実際、僕が訪問中にも、タタンの携帯電話が何度も鳴り、
果樹の苗注文の交渉をしていたのが印象的だった。

そのナーセリーについて、
帰国前と今回とではタタンの期待が変わっていた。
帰国前のタタンはそれは無収入の間のつなぎ的な意味だったが、
今回は、その果樹ナーセリーをどんどん拡大して
政府系の規模の大きい果樹プロジェクトなどにも
苗を提供できるようになりたい、と話してくれた。
たぶん思ったよりも苗の需要があったことも
起因しているだろうが、
それ以上に限られた土地の中で、
より効率よく農業ビジネスを行うためには、
こうしたナーセリーといった回転の良いもので
勝負ができるんじゃないか、と考えているようだった。
彼としては、果樹栽培の援助や普及事業に
うまく入り込んで今の何百倍もの苗を販売したいと考えていた。
その苗を準備するための技術や人員、場所などは
まだまだ未知数の部分も多いが、
熱く語るタタンの目には、ある程度未来が見えているようだった。

彼は荒唐無稽な話をする青年ではない。
彼をよく知っている人間ならば、
彼がどんな性格かはわかっているだろう。
ただ一般的にインドネシアの農家でよくある話が、
取らぬ狸の皮算用的なものが多く、
一気に規模拡大の話には、眉唾だと思う方も多いだろう。
僕もタタンがそんな話を始めるので、
インドネシアに帰国した途端に、
こちらでよく見かけるような農家になったのかと
やや心配だった。
だが、それは徐々に払しょくされていった。

僕が彼の家に到着すると、
彼はどこかに何度も電話をし始めた。
そしてしばらくして、
「今から村長に会ってもらえますか?」と切り出された。
僕は訳も分からなかったのだが、
彼が会ってくれいうのなら会ってやろうじゃないか、
ということで、村長自宅へ訪問することになった。
訪問してみると、村長もなぜこの日本人は
ここにやってきたのか要領を得ない感じで、
訪問の意味を理解していない僕との間で
かみ合わない会話が続いた。
その間をタタンが取り持って会話が進んだのだが、
ある時点でこれはタタンの政治力としての
訪問だと気が付いた。
それからは僕はタタンを褒め、
日本でどんな勉強をしたのかを話し始めた。

村長はそれまでは日本からの援助が必要だという話を
延々としていたのだが、
話がタタン個人に切り替わると、
彼も目を細めてタタンを褒め始めたのだ。
そしてタタンが帰国後すぐに、
集落の果樹の農家組合を組織したこと、
その組合長に就任したこと、
お金を浪費せず、果樹園や田んぼを買ったこと、
道普請ではリーダー的な立場で参加してくれたこと、
これからこの村の若者を引っ張っていってくれる存在だなど
もう聞いている僕が恥ずかしくなるくらい
村長はタタンを褒めていた。
2013年4月に帰国して、1年もたたないうちに
彼は村の中で政治力を発揮し、
一気に重要な人物の一人になろうとしていた。
その手腕に舌を巻くのと同時に、
僕はここぞとばかりにその彼の政治力を高めてやろうと
リップサービスをしまくって帰った。
村長と僕とがタタンを褒めまくるという
なんとも奇妙な村長宅訪問だった。

この訪問で明らかになったのだが、
タタンは帰国後に果樹の農家組合を新たに組織して、
国からの事業の受け皿を作った。
そしてその長についた。
さらにその組合には集落内にいる
果樹の仲買人もメンバーに巻き込んで組織した。
販売力や市場の情報を自分たちの組織に取り込むためだ。
組合の活動自体はまだまだ形になっておらず、
この組織をどう動かしていこうか、と
青い意見をタタンが熱く語るのが僕には面白かった。

さらにタタンの話では、
集落ではないが、郡レベルの青年会議所のような
組織にも参加しており、現在そこで果樹のプロジェクトが
持ち上がっているという。
インドネシアではもうすぐ大統領選と国会議員選がある。
それの影響で、その郡の国会議員候補者が、
私的な資金を使って、農家の所得向上プロジェクトを進めている。
もちろん、人気取りみえみえのプロジェクトなのだが、
タタンはそこにもしっかりと食い込んでいて、
彼の政治力には舌を巻く。
そのプロジェクトは丁子苗を1万本配布するもので、
その苗をその青年会議所が中心となって準備することになっている。
ただその組織は農業出身者がほとんどおらず
誰も技術を持ち合わせていない。
そこでタタンが中心となって準備を進めることになりつつある。
まだ決定ではないが、
その苗生産を自分のナーセリーで
一枚かめないかと考えている節もあり、
その配布先に自分たちが組織した農家組合が
入らないかと思案している感じでもあった。
こうした活動の背景が
彼の自信にもなっており、
そして規模拡大の難しさもあって、
果樹の苗ビジネスへ未来を見据えているようにも見えた。
それは資金や技術だけでなく、
しっかりとした政治力が発揮できなければいけないことも
示唆している。
今後、僕の研修においてもそこは議論し、
政治力を発揮させるために必要なことも
みんなで討論する必要があることを
改め気づかせてくれた。

たった1年たらずで
あの正直でまっすぐなタタンが
策士顔負けの政治力を
あのキャラクターのまま発揮させていたのが
印象的だった。

翌日、僕はタタンの家を後にし、
最終目的地、ヘンドラの村へ向かった。








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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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