なかなか話が進まなくて申し訳ない。
いろいろと締め切りを抱えていて、
今日はようやく自由な身に。
では、皆さん、タタンの地元を一緒に訪問しよう。

イルファンのいるランチャカロンから、
車で1時間半ほど行けば、そこは県都スメダンになる。
その県都スメダンから、さらに車で2時間行った先に
タタンの住むバンジャルサリ村がある。
スメダン県とお隣のマジャレンカ県との県境にある村だ。

イルファンの村は、村といっても開けた村で、
交通量の多い道路もあって、それなりに車の喧騒があったが、
タタンの村は大きな幹線道路からは遠く離れ、
さらに奥に入ったような場所で、
とても静か村だった。
家もゆったりと建っており、敷地も広く、
一軒一軒美しい佇まいで、まわりの緑も美しかった。
とても豊かな村だった。

タタンは2013年4月に帰国したばかりだった。
なので、彼の活動はまだ始まったばかりだろうから、
ほとんど見るものもないだろうと思っていたが、
その期待は良い意味で裏切られた。
彼の実家はそれなりに裕福だ。
たぶん農園にやってくる研修生の中で、
今いる研修生も含めて、
一番裕福ではないかと思う。
タタンの父はまだ50代で若く、働き盛りだ。
大工をしていたが、ビジネス感覚に優れ、
淡水魚の養殖や投機的な米売買ビジネスで
土地を増やし、それなりに財を成した。
タタンはとても良いスタートを切れる立場にいた。
しかも彼は一人っ子だった。
これはスンダ民族では重要なファクターで、
遺産相続はいわゆる日本では「田分け」と表現されるように
すべての財産を均等に兄弟に分け与えるため、
相続を重ねれば重ねるほど、
その子孫の農地は細分化され、
農業を生業で食べていけなくなるのだ。
だから、一人っ子のタタンは、
父の農地やビジネスもすべて含めて
自分のこれからを考えていけるため、
非常に有利な立場といえよう。
事実、彼はそのように物事を考え、
農地への投資を行っていたのが印象的だった。

彼は4か所の土地を新たに買い、
農業を始めていた。
14aと21aの果樹園、
そして28aと14aの水田だ。
日本にいる間から、
土地の売買情報のアンテナを高くして、
帰国前にすでに
これらの農地のほとんどを用意していた。
トータルで77aの耕作面積で、
普通の農家よりもやや大きい。
しかもこれらはまだ父の農地や養殖池は含まれていない。

イルファンと違い
なぜこんなに広い面積の農地を用意できたのか?
その答えは、親の資金の浪費にその違いがある。
イルファンの両親はその日を暮らすのも大変な状況だった。
兄弟も多く、お茶畑の収入では全員が裕福には
暮らせなかった。
その結果、本人談で(やや感情的だとは思うが)75%の資金が
親族の日々の暮らしに費やされてしまった。
それに引きかえ、タタンの両親は裕福で
タタンの出稼ぎのお金がなくとも十分暮らしていけた。
しかも兄弟もおらず、タタンが生活費として親に送ったお金は
そのほとんどが貯金されており、
帰国後タタンの営農資金として手渡されたという。
そのお金をもとに、タタンはさらに土地を買い、
十分やっていける面積を最初から準備できた。

準備ができたといっても、帰国したのは
この前の4月。
なので、まだまだ農業は軌道には乗っていない。
1つ目の果樹園では、
それぞれ売れると考えている果樹
4種類(ドリアン・バナナ・丁子・ヤシ)と
野菜4種類(ウコン・唐辛子・なた豆・生姜)が
作付けられていた。
もう1か所の道沿いの果樹園では、
メインにSawoという熱帯果樹をメインに
胡椒とバナナを昆作していた。
イルファンの果樹園と違う点は、
粗放的な伝統果樹園ではなく、売れるものだけを限定して
昆作していたところだろうか。
彼からも「販売できるものばかり植えます」と
しっかりとその辺を区別した発言があった。

水田も2か所あった。
1か所はもともと父が持っている場所と同じ場所の水田が
売りに出ていたので、その場所を購入したとのこと。
より効率的に作業を行えるように考慮して買っていた。
その水田は、集落から離れていたが、
現在、村事務所主導で農道が整備されつつあり、
その農道の終着点がタタンたちの田んぼのある場所だという。
農道ができれば、これまであぜ道で苦労して運んでいた
収穫物も車両をつかって運ぶことが可能になるし、
肥料や資材の投入の楽になる。

さて、少し話を脱線させたい。
それはその農道についてだ。
日本でも戦後に土地改良と称して農地を整備し
農道を巡らせてきた。
国家プロジェクトであり大きな予算がついて
農道として拠出した面積は国が土地改良組合を通じて
購入した。
ちなみに農地の整備は、地権者と国の折半で、
何十年とかけて地権者は土地改良費として
この整備費を支払うことになる。
現在でも支払いは続いており、
支払いが終わったかな?と思ったころに
新たなパイプラインや基盤整備事業があったりで、
なかなか返し終わらないのが現状だ。
というのは余談。

さて、タタンたちはそんな国家プロジェクトではない。
村レベルの行政が企画した農道プロジェクトで
農道整備に少額の予算があるだけだ。
粗雑なアスファルトを引く予算だけで、
道の土台を作る労働力は
住民のボランティア(gotong royong)で賄うという。
いわゆる「サンカガタカイハツ」なのだ。
さらに驚くべきことに、
農道のために拠出する個人の農地は
買取りではないということだ。
つまり無償で拠出するというわけである。
これを寄合の話し合いで
解決したというのだから恐れ入った。
とは言っても、ずいぶんともめたらしいけど。

さて
実際に見学に行ったときは、
すでに道普請が始まっており、
拠出する農地もあらかた決まっていた。
もともと道に近い農家ほど拠出を嫌がったため、
不便でアクセスが難しい土地ばかりを
通って道が作られる計画で、
かなり曲がりくねった農道になるらしい。
でも農道ができれば、その農地の価値は上がるので、
タタンも一部農地を拠出しているとのことだった。
彼は拠出したほうが得だと考えていた。
農地の価値が上がるし、
作業効率も良くなるから、というのがその理由だった。

さて、農道ができるのは実はその田んぼだけではない。
タタンのもう一つの田んぼにも、そんな話が来ている。
日本にいる間に購入した田んぼで、
21aの小さく分かれた棚田だ。
ここには村の奥にあり、道路がまったくなく、
畦以外の道がない。
ただここは乾季でも水があり、
年に3回稲作ができる場所だった。
その田んぼの奥に別の集落があり、
その集落の人のアクセスを良くするために
村事務所からタタンの田んぼの一部を無償で拠出してもらい
そこに村道を作りたいと連絡があったという。
これにはタタンはやや消極的だった。
なぜならその田んぼも近くにはタタンの果樹園があり、
そこも村道の計画に入っていて、
せっかく植えた果樹がここ数年で道路建設のために
伐倒されるのではないかと危惧しているから。
果樹は植えてから収穫できるまで時間がかかる。
田んぼのような計算とは、また違うようだ。

十分な土地を買い、いろんな計算をしながら、
新たに農業経営に乗り出しているタタンは
とても頼もしく見えた。
ただ現在の面積では、まだまだ成功したとは言えない。
これからもどんどん面積を増やしていくかい?と
当然、そうです、という答えを期待して聞いた僕に、
タタンは、
「そうしたいんですが、それがどうも難しいです」と答えた。
ここにも巨大な国家プロジェクトの影響が
出始めていた。

つづく

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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