イルファンは、妻の実家のある村で暮らしている。
スメダン県ランチャカロン郡にある村で、
山間の村だ。
だからといって、のどかではなく、
人口密集地でもあり、所狭しと家が建っている。
一見したところ、森が広がっているように見えても、
そのほとんどは住民たちが管理する果樹園だったりもする。
棚田が広がり、すこしの隙間も逃さず
耕作しつくしている、そんな印象を受ける山村だ。
山村と言っても、村の中に主要幹線道路が走り、
その道沿いには商店が立ち並ぶ
けっこう開けた村でもある。
都会へのアクセスもよく、
ベッドタウン化しつつある。
そんな地域ならではの営農の苦労が
イルファンにはあった。
帰国後、彼がどんな営農をしようとしていたかは、
前回の訪問(2013年)のエントリーにも記してあるので、
まずこちらを参照していただきたい。

さて、
結論から言えば、
彼は契約公務員になっていた。
2013年に行われた
西ジャワ州の農業普及員(THL-POPT-PHP)の
採用試験に挑戦し、
みごと10倍以上の難関をくぐり抜けて
契約の公務員になっていた。
この役職は、主にフィールドで稲作や園芸分野において
自然環境に配慮した防除を農家グループに指導する仕事だそうだ。
彼自身、福井での研修中は、
総合防除(IPM)の研究を行い、
3年生の成果発表ではハダニの天敵防除の
道筋を実践的に示してくれた。
そういう意味では、普及員として
フィールドで農家と一緒になって
総合防除について学びあう今のポジションは
彼にもっとも向いているようにも思う。

さて、では彼はなぜ公務員を目指したのだろうか?
それにはこれまでの営農と彼のおかれた環境に
そのプロセスがある。

2013年の訪問エントリーを参照してほしいのだが、
彼は帰国後すぐに結婚している。
そして彼の妻の実家の近くに居を構え、
新しい生活を始めた。
実は、帰国前に彼は自分の地元に農地を買い求めていた。
帰国するまでは、地元でやっていこうという
ある程度の思いはあったのだろう。
だが帰国して、妻と結婚し、
そして妻の父が用意してくれた家やそこの土地柄、
彼の実家やその地域の事情もあり、
新しい生活は妻の実家であるランチャカロンで
スタートを切ることにした。
インドネシアでは、「家を継ぐ」といった意識が薄く、
特にスンダ民族では、末っ子が最後まで家に残るのが
慣習である(もしくは親の近くに住む)。
イルファン(ちなみに彼は4人兄弟の次男)は、
経済的に豊かな妻の実家の近くに住むことにしたという
至極インドネシアではまっとうな選択をした。

しかし、この慣習は時として難しい問題も起こす。
まずイルファンにとって何の基盤もない場所で
ゼロから営農をはじめないといけないということだった。
これもインドネシア的な感覚だが、
妻の父も副業的に営農をしているが、
その営農とは基本的に別経営体として運営するのが
通例である。
一家を構えれば、それぞれがそれぞれに
営農を行っていく。
もちろん親の手伝いはするし、
子供の畑を親が手伝うこともある。
だが日本のように「イエ」として婿や嫁が
その一家の営農に入ってくるといった感じとは
また別の感覚を僕は感じる。
収穫物や労働量は収穫物や金銭的に解決されることが多い。

つまりイルファンは、慣れない土地で
独立した経営体を確立しなければいけなかったのである。
彼はすでに帰国前に地元で土地を買っていたが、
それは父に預け、自分は新しいランチャカロン郡で
土地を買った。
水田が14a、そして果樹園が7aの計21a。
このあたり農家の平均所有の内が20数aなので、
標準の農家としてスタートした。
2013年に訪問した時は、
買った水田でキャベツを栽培していた。
そのキャベツは、総合防除を実践し
天敵に配慮した栽培だったが、収穫は安定しなかった。
何度かキャベツ栽培をためし、
その収穫物を新しい販路開拓のため
ブローカーには売らず、自ら市場にも運んだ。
だが、市場に店を構えている商店一軒一軒回ったが、
そこの商人からは、
「信用できない」と言われ、うまく販売ができなかった。
また商店一つ一つはとても小さく、
たとえキャベツを買ってくれても、その量はとても少なく、
その分一軒一軒回って交渉しなければならず、
たった8a分のキャベツであっても販売しつくすのは
かなり骨の折れる作業だった。
日本と違って、ローカルな市場は
小さな個人商店の集まりであって、
卸が競りを行うような場ではない。
八百屋ばかりが集まっている商店街だと思えば
あながち間違いではないだろう。
ブローカーは、大抵それらの商店をいくつも抱えているか、
さらに大きな市場にアクセスして、大量の野菜をさばいている。
個人の小さな農家が入っていく隙は、
ここには感じられない。
だが、僕らが日本で行っている営農スタイルから
マーケティングを考えると、
どうしても市場でニッチを見つける方に
考えが行くのも仕方がないだろう。
僕自身もそこにある程度の可能性があるんじゃないかと
これまで期待してきた向きはあるのだが、
今回の訪問でそこへの期待はさらに薄れた。
今後の研修の在り方にも大きく影響する事実であり、
やはり実践してみないとわからないことも多い。
ただ、まだ可能性については完全にはあきらめておらず、
もう少し違ったアプローチを誰かしてみないか、
とも思っているので、それは追々研修で彼らと議論しよう。

さてちょっと話がずれたが、
イルファンに戻そう。
彼は、自分一人では販売と栽培の両方は無理だと感じている。
現在研修中で、イルファンの同級生でしかも同じランチャカロン出身の
クスワントが4月に帰国するので、
2013年の訪問では、クスワントと一緒にマーケティングしたい、
と期待していたが、今回の訪問ではすでにそれへの期待も
ほとんどなかった。
彼は、数度にわたるキャベツの失敗で、
それはマーケティングと栽培の両方でだが、
新しい市場への期待感は
ほとんどなくしてしまったように見えた。

そして、昨年は周りの農家と同じように
特産のサツマイモを栽培し、ブローカーに販売した。
果樹園では丁子を栽培しているが、
昨年は値段が倍以上にあがり、その収入でやりくりをした。
その丁子も販売もブローカーだけで、
新しく市場を探すことはなかった。

そして帰国2年の苦悩と実践で彼はある結論を
導き出していた。
「農業では、家族を養っていけない」と。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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