河野 和男 著 『自殺する種子』:遺伝資源は誰のもの?.2001年.新思索社.

本書はキャッサバの育種を長年行ってきた研究者が書いたもの。副題にもあるが、遺伝資源は誰のものなのか、インドネシア留学中はよく議論されたことでもあり、この本を読むことに。

筆者は遺伝資源を人類共通の資源と考えている。ゲノムなどで一部の企業や研究者が、特許をとることに対して反対の立場をとるあたりは共感を覚えるが、遺伝資源は果たして人類共通の資源なのであろうか、という疑問は残った(人類はそもそも同じような価値観で地球上に生きているわけではない)。技術の立場から物事を論じようとすると、考察の幅がないと感じられたりもする。本書もその例外ではない。

育種の分野では避けては通れない、『緑の革命』については、その問題点を明確に書き出してはいるが最終的には、筆者は低価格で米の安定出荷が出来るようになり、それがひいては低・中所得者の福利厚生につながったと評価している。しかしそれこそがコストをかけて低価格の米を作らなくてはいけなくなった小農が、土地なし農民となっていく過程にほかならない。自給できない都市の論理で、農業を語れば、筆者の言うこともあるいは正当かもしれないが、むらの論理で考えれば、それこそが農の崩壊でもあるといえるだろう。

筆者は人類の農耕の始まりから育種について説明を行っているが、近代(モダニティ)の浸透の中で、農業自体の意味が変わってきていることには全く触れられていない。筆者が言わんとしている農業の論理は、あくまでもモダニティにどっぷりと浸かった固定観念であり(多収=貨幣収入向上を目指すと言う意味で:たとえある程度食味などの価値に気を使っていたとしても)、農業が生活のスタイルとして存在していることに気がついていない。もし農業が多種多様な価値をもち、その地域の文化と生活とともにあるということに思いを馳せるならば、育種のあり方も自然と変わってくるものと考えられる。が、そのことに対する記述は無い。また筆者が育種を行った地域(海外)での農業文化や生活・価値観についての記述はない。育種の方向性を決めるはずの農業の価値観が常に一本調子。残念。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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