神門善久 著 『日本農業への正しい絶望法』.2012年.新潮新書.

本書は、神門氏の著作。氏の著作はこれまで2冊ほど読んだ。氏の論理展開はとても簡単明瞭で、平易な文章が特徴だろう。本書もこれまで2冊と同様、平易な文章だったが、論理展開には、残念だがかなり無理を感じた。『日本の食と農』で展開された視点をどう収めていくか、また新たに展開するか、という点で、かなり苦悩されているようだ。

氏の農業分析の特徴は、視点を農地利用に設定されている事である。これは僕が読んだ前著2冊も同様である。農地を農業を行う生産現場と捉えず、財産化し、転用機会に対する期待が大きくなっていることで、生産性を損ない農業政策の矛盾をついている。この農地という場所に対する意識の差異に視点を置くことで、農業界が抱えている問題をすっぱりと切り取った辺りは、氏の素晴らしい分析力と洞察によるものだろう。この考えのおかげで、僕もコミュニティにおける農業の意識の差を自分なりに消化することが出来たのは事実だ。

さて本書では、氏はその先を見据えようと試みたのだろう。農地に対する意識の差異を明確にすることで、農業の現状に潜在的に潜んでいる問題をある程度は解りやすく僕らの前に示してくれたのだが、ではそこから先に進もうとした時に、ややこしい農地利用問題に足を突っ込むことになる。農地利用を国が強力に制度化すれば、すでに歴史が示した通り、70年~80年代に破綻をきたしてしまった(もしくはみんなで抹殺してしまった)共産主義の焼き増しになるだろう。論理展開も規制緩和か規制強化かの二分化論に陥りやすくなり、あまり農業と農村の現状を反映しなくなる恐れもある。そこで氏が持ち出してきたのが、『技能』論であった。農業における技術を、マニュアル化(一般化&普遍化)できる技術と名人の技としての技能の2つに分け、技能の復権が大切だというのが氏の主張だ。こうすれば転用機会を待つフリーライダーのなんちゃって兼業農家と専業農家を分類して考察できる。しかも、農業ブームにつけ込んで参入をうかがっている他産業の法人も、同じ刀で一刀両断できるってわけだ。技能の話が出てきた辺りで、氏の苦悩とその成果を見た感じがした。しかし、その刀はそもそももろ刃の刃だ。氏が進もうとしている方向に論理展開することには無理がある。どういう経緯で「技能」論が顔をもたげてきたのかはわからないが、導きたい結論に導くための突貫工事的に作り上げた理論にも見えるのは、僕の意地が悪いからだろうか。現場で農業をしている人間として、「技能」の話は他と差別を図る方便として、とても魅力的な言葉だ。だが、氏の技能についての説明や議論が浅すぎる。「日本の食と農」の書評では、原洋之介先生にご登場願ったが、今回は渡植彦太郎先生に出てきてもらうとしよう。渡植の著作「技術が労働を壊す」では、氏の論理と同じようにマニュアル化された、科学に裏打ちされた技術が、現場で創意工夫された技能を否定し、労働と生活において主権を失うと指摘している。しかし、渡植の場合、それは生活と労働の現場で得られた知識を技術が否定し、人々は自分たちの時間を切り売りする生活になると指摘しているに過ぎない。渡植の批判が色あせているわけではないが、それらの状況下でも我々が技能を発揮していることに、渡植の時代ではまだまだ事例や考察が少なかったといえよう。さてその上で、技能と技術の議論では、名人が観察する農業の労働、つまり氏の言う土づくりなどが素晴らしくて、マニュアル化しやすい機械化された農業や水耕栽培などが技能を否定するわけではないはずだ。事実、それらの現場でも、たとえ労働や栽培管理がマニュアル化されていても、それぞれに創意工夫が活かされ、現場なりの「技能」が存在するからだ。名人芸の「技能」のみに技能を見出し、その他ほとんどの凡庸な普通人が日々に創意工夫する技を「技能」と見なさないのは、別項で氏の言うノスタルジーの罠ではないだろうか?事実、水耕栽培ではその販売されているシステムのままでは、ほとんど儲けが出ないため、それぞれの農家で微調整とたえず改善を行い、自分の営農にあったシステムを作り上げている。

こう書いても氏の反論はあり得るだろう。農転期待の兼業農家と法人には、それほど努力をして農業の技能を磨かないのではないか、といえるかもしれないが、それはカテゴライズされた「兼業農家」と「法人」が絶対条件にはならないはずだ。それにそれぞれが目指す市場の違いから、それぞれが農業技術に求める価値が違いすぎる。小規模で土づくりを考えている農家が必ずしも正統ではないだろう。それはただ単にそういう市場を志向しているだけで、氏はそれに共感するからそこに正統性を見出すのかもしれないが、全世界的に目を向けてみれば、他国の自給自足で循環的に行っている農業スタイルに必ずしも素晴らしい「技能」があるわけではない。もしそう見えるのであれば、やはりノスタルジーの罠でしかない。

農地利用の視点に「技能」論をプラスして考察した点は、大変刺激的だったが、そこに結論ありきの論理展開に見えてしまう点が残念だった。事例として出ていた名人篤農のK氏だけを優良事例とせず、様々なシーンでの普通の人々に創意工夫があることを考察に盛り込めば、農業の現場がもっと色鮮やかに浮かび上がると思う。氏の次作に期待したい。



関連記事
Comment
Trackback













管理者にだけ表示を許可する

Comment form

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
06 ≪│2017/07│≫ 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ