5月27日祖父清治が逝く。
享年88歳。
小柄だったが、体が強く、そして優しい祖父だった。

祖父は昭和元年生まれ。
小作農の長男として生まれた。
葬式で聞いた話では、祖父の父はあまり体が丈夫でなく、
仕事もあまりしなかったそうだ。
さらに祖父の祖父は、お菓子食いのぐうたらで、
田んぼの多くを失った。
そんな破綻状態だった農業を引き継ぎ、
農業一筋に打ち込んで田んぼを増やし、
今のうちの農園の基礎を
創り上げたのは、祖父だった。
僕や父が偉そうに農業をしていられるのも
祖父が頑張ったおかげなのだ。

そして僕にとって、
祖父は生きた証人だった。
ムラのこと、農業のこと、地域のこと、
いろんなことを昔話に交えて教えてくれた人だった。
その話から垣間見られた風景が、
僕の眼差しを作った。
書籍や文献で昔のことはある程度わかるし、
もしかしたら、その方がより「正確」なんだろう。
だが、その風景が感動や情念といった生の息遣いをもったモノとして
僕らの中に飛び込んでくることは、ほとんどない。
その時代を生きた人の想いが
削り取られていることが多いからだ。
よほど優れたエスノグラフィーでもなければ、
その生の息遣いなんてものは感じられないのだ。

野止め(農業の休日)を守らなかった家の大八車を
青年団で神社の木に吊るした、とか
田んぼの用水のために、柳の木で川を堰き止めた川せぎの話。
わざと大水が出たら壊れるように作った、という話は、
その背景にある思想と自然との付き合い方において、
とても考えさせられた。

堤防を区分けして、その草が
牛のエサや田んぼの肥料として利用する資源だった話では、
同じ風景を僕らは見ているにもかかわらず、
それがただの雑草なのか、
それともそれが資源なのか、という差異を
歴史と生活の変容から感じた大切な話だった。

戦前、小作の自立を目指した
共産系の日農運動については、
自分も小作であるにもかかわらず、
その理念よりも、それまでの地元の地主との関係を
一切無視して、地主対小作と言った構図での
闘争化に嫌気がさしていた話もしてくれた。
固定化して闘争化することよりも、
ムラとしてこれまでの関係の中で
緩やかな仕法を目指すその価値観が
僕は好きだった。

僕に村とは何か、人との付き合い方はどうだったか、
どう自然を見て、どう付き合ってきたのか、
そんなことを丸ごと教えてくれたのが
祖父の生き様だった。

その祖父が逝った。
僕があまりにだらしないフィールドワーカーだったため、
手元にある祖父の生き様は、わずかしかない。
でもこれを大切に胸にしまい、
祖父から受け継いだ土地で、
これからも農業を続けていこうと思う。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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